2015年 バングラデシュ視察記 9 by 伊勢祥延

8月17日

アウンが風邪を引いてしまい、ホテルで休養。<!–more–>僕はカルガチョリ県を拠点とするジュンファンデーションのスジェルカンテとユニオン警察の監視員を伴ってDIGHNALA(ディグナラ)群SHANTIPUR(サンティプール)村へ向かった。

450家族と大きい村で、回りにも4つ程の村が点在する集落である。内戦時インドに非難し、条約協定後に帰国し定住した村がほとんどである。通訳はスジェルカンテの友人で、UNDPに勤務するAlopriyaさんが担当する。

111SHANTIPUR(サンティプール)村112SHANTIPUR(サンティプール)村113SHANTIPUR(サンティプール)村

アウンからは監視の目があるので適当に挨拶して具体的な話しには触れないよう言われていたが、村人が積極的であった事と、雰囲気が良かった事、監視に同行した郡警察は、ジュマの人間だった事もあり、大丈夫と判断し、これまでのように仏陀バンクの説明をおこなった。興味を持った他の村からも参加しており、ここで成功すれば近隣の村に容易に広がる事を想定した。

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11:00

カグラチョリ県PANCHARI郡に移動、郡のNATIONAL SECURITY (国家警察)のビルに立ち寄り、この地域の諜報員が同行。

彼はベンガル人であったためこの先はアウンの指示どうり仏陀バンクの具体的な話しは一切せず挨拶と交流のみ。

その後の村への指示は、後日アウンが電話ですべて行なう事になっている。

12:00

チャクマ族のPANCHARI郡SOUTH MALKATA(南マルカタ)村へ到着。80家族22人が未亡人という貧しい村だ。

サンティプール村と同じくインドに避難し、後に帰還。

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その後となりにある姉妹村に向かう。

13:00 NORTH MALKATA(北マルカタ)村は250家族と南マルカタより大きく、200人以上が参加した。ここも未亡人が多く35人。どちらも村の寺院にて僧侶の参加のもと無事ミーティングを終える。

監視の目があるためこの2つの村では挨拶のみにした。が、最後には国家警察の諜報員、僕にメモ帳を差し出し、フルネームを書くよう指示がされた、、。

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15:00

アウンと取り決めた貧しいベンガルのイスラム教徒の支援地域として、土地に詳しいスジェルカンテと共に、BHAIBONCHARA(バイボンチャラ)村の神学校を訪問。当局の人間の見てる前で、我々はジュマや仏教徒だけを支援してるのではなく、バングラデシュの貧しい人々を支援してるのだというアピールである。

村の個人が運営する神学校では質素な教室に5~10才の子どもが120人程。子ども達は、イスラムの神学校特有の頭を前後に振りながらコーランを読む修行をしていた。

政府のサポーとはないらしい。後日可能なら金銭的サポーとを考えますと伝えその場を後にした。

スケジュール的にこの後、寄る事が出来ないため。CS総合ミーティングのあと、スジェルカンテに1万タカの寄付を届けてもらう事になった。

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