伊勢祥延 の「Calendar Photoの追憶」19

2008カレンダー Inner soul 11月img_3010

写真はアフガニスタンのカブールにある難民キャンプの少女です。

今回はアフガニスタンに行くのと出るのにどんだけ大変だったかを書くことにします。

渡航に向け観光ヴィザは簡単に取れたが、エアーチケットには苦労したなんてもんじゃない。
アフガニスタンに入国するには、パキスタンから入るのが一般的だ。陸路はパキスタンのペシャーワルから、カイバル峠を抜ける。空路はイスラマバードからカブールへ、しかし当時のパキスタンはアフガニスタンに入国しようとするジャーナリストが殺到していた。そのためパキスタン政府はそれを規制するためダブルエントリーのビザの配給を打ち止めしていた。それはアフガニスタンでパキスタンに再入国するヴィザを取らないといけない事を意味する。さらに前後泊が必要で俺のような貧乏旅行者には手が出せない時期だった。片道チケットで他国に抜けると飛行機代が莫大になる。いろいろ探した結果インドのデリー経由があった。航空会社はアフガンアーリアナ航空。
しかしこの会社は国際航空連盟に加盟しておらず日本での発券は不可能!ネットも普及しておらずインドのオフィスに国際電話しないとならず、電話代が半端ない!そしてなかなか繋がらない。やむを得ないノーチョイス、ここでチケットを予約し登録ナンバーをもらった。チケットの購入はインドのデリーにあるオフィスで行うことになっていた。

そしてデリーに着いたのはいいが、あるはずのアフガンアーリアナ空港のオフィスは見当たらず、聞くと空港の外の建物の中だという。重いバックパックを背負ったまま訪ねて歩いたが、いくら探しても見当たらず、ようやく探し当てたのだが、まるで倉庫の様な殺伐とした建物で、ドアにAfghan Arlyianaとステッカーが一枚貼ってあるだけ。さらに鍵がかかっていて誰もいない。中を覗くとオフィスらしい設備はゼロに等しく、壊れた飛行機の備品や椅子などが散乱していた。フライトは翌日なので仕方なく明朝訪ねることにした。そんな訳で空港から離れて宿に泊まる余裕はなく、結果野宿!

空港の周りの冷房のある施設にギリギリまで居座り、閉鎖の時間と同時に大勢のインド人と共にぞろぞろ外に出て地べたで雑魚寝、しかも熱帯夜。数百人もの人が翌日のフライトと出迎えや見送りのために宿代をケチって野宿しているのだった。ただ外国人は俺一人だったと思う。
翌朝目がさめると硬いコンクリートの上で寝たせいか身体中が軋んでいた。荷物を気ずかって両手足に括り付けていたからだ。
とにかくチケットを手に入れないと先がない。再びアフガンアーリアナ航空のオフィスへ行く、、、が、、、昨日と同じで誰もいない、鍵がかかったままだ。

それからというもの空港とオフィスを行ったり来たり、なぜならデリーの空港はセキュリティーのためかチケットを持ってないと入れてくれないのである。掲示板で予定どうり飛行機は飛ぶことになっていることを確認した。従って空港内には必ずアフガンアーリアナのスタッフがいるはずだ。
事情を説明して空港内に入れてもらおうと何度も交渉したが、セキュリティー野郎どもは頑として拒否する。でっかい銃持ってるからって偉そうにしやがって、、。

離陸の時間がどんどん迫ってきた。流石に自社の飛行機が飛ぶ時ぐらいはオフィス開いてるだろうと思いきややっぱり鍵かかったままで誰も居ない、、。

ヤバイもう時間がない

このまま飛行機に飛ばれて置いてきぼりなんて冗談じゃね〜ぞ、何ヶ月も前から準備して来たんだバカヤロー、、あ〜俺のアフガンが遠のいて行く〜〜〜〜

空港のメインゲートの前で立ちすくむ俺

と!そこへスッチーが3人ほどゲートに向かって歩いて来た。よ〜しやるしかない!どこの航空会社か知らないがそんなことどうでもいい、、、

”母性に訴えかけるしかない”

俺はそのスッチー達の行く手を阻むかの様に立ちはだかり、「お願いです!助けてください、どうしても乗らなきゃならないんです。警備が入れてくれません、中からアフガンアーリアナ航空のスタッフを呼んできて下さい、席もとってあります。あなたがたしか頼める人がいないんです」その時の俺は死にものぐるい、さぞ困ったちゃんオーラを全開で放出した事だろう!

「わかりました、必ず伝えます」スッチーはそう答えて空港内に消えて行った。オ〜〜女神だ〜

来た!5分ほどでアフガンアーリア航空のスタッフがメインゲートから現れた。彼はシリアスな顔でヴィザはあるか?と俺に訪ねパスポートを手に取り予約ナンバーを確認し、Wait と言ってパスポートを持ったままゲートを潜り空港内に戻っていった。

しかし、、、、、、、、、、、!

戻ってこなかったらどうしよう、、、という新たな不安が、、、、そうなれば空港には入れないどころかパスポートもなくなり、状況は最悪だ、、、。

そんな超ネガティブになりかけた時、パスポートとボーディングパスをしっかり胸元に、両手にはさんだ先ほどのスタッフが現れた。その15分後に俺は機上の人となったのだった。

しかしこれは試練の序文でしかなかった。なぜならアフガニスタンを出国するときは更なる試練が待っていたからだ!長くなったんでそのお話は次回アフガニスタンの写真が登場するときにしたいと思います。

 

事務局員紹介 仏陀バンクプロジェクトリーダー 伊勢祥延(いせよしのぶ)

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