伊勢祥延 の「Calendar Photoの追憶」20

2011年のカレンダー「The Street Child」1.2月
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好評だった前回の、アフガニスタン入国への苦労話し(Vol.19)引き続き、さらに難関だった出国の物語をお贈りします。

と言うわけで、写真はアフガニスタンの首都カブールで撮影され、2011年のカレンダー「The Street Child」1.2月のページに使用されたのものです。今回だけ順番を変えました。

これは私がこれまでの渡航のなかでもでも最もハラハラ、ドキドキした瞬間の場面のひとつです。

誤解がないよう一言つけくわえます。アフガニスガンという国は驚くほど美しい大自然が残り、親切で優しい人々が暮らす、これまで訪れた国の中でも最も印象に残る国の一つだということを。

それはともかく、渡航に使った航空会社は最悪だった。前回書いたように、やっとの思いで行きの飛行機に乗ったのわけで、帰りは一体どうなることかと、行った先からず〜と不安が付きまとうこととなった。

さらに到着したカブールの空港に待機する軍隊の検問、戦車や装甲車が走り回り、物々しい武装警官を左右の視界に入れながら、空港のゲートを通り抜け外にでる。やって来たのはいいが、はたしてこの国から無事に脱出できるのだろうかと思わずにはいられない、、。

機上する時から航空会社の人から言われていた、それは帰りの便は時間の変更があることがあるのでリコンファーム(48時間以内に行う予約の再確認)は必ずするように、と。
そりゃそうだろう、メジャーな航空会社でもこのシステムはまだ必要とする所も多い、ましてやこんなわけわからん航空会社、リコンファームいらないと言われるほうが不安だぜ!

以前アフリカのケニアからの帰り、手違いがあり乗り換えの便がバンコクでリコンファームされておらず、無人の空港(旧)で一人野宿したことがある。怖かった、虚しかった、ひもじかった、しかもチケットを買い直すハメになった!

そんなわけでアフガン出国の二日前、俺は電話だけじゃ不安なので、首都のカブール市内にあるアフガンアーリアな航空の本社のオフィスに向かった。
そこは古臭い雑居ビルの中にあり、光が入らない薄暗い事務所だった。コンピューターもないアナログちっくな男ばかりオフィス。
対応は特に悪いわけではないが、なんか胡散臭い。係の人がチケットと予約を確認しながら、出発は定刻の12時30分から二時間遅れで、14時30分になったと告げた。やはり変更があったか、来て正解だったと思いながら建物を出た。

が、しかし、、、、、、、!

不安だ!なぜなら口頭で、二時間遅れると言われただけで、時刻を記した代わりのチケットをくれるわけでもなく、控えの書面があるわけでもない。持参しているインドで買った帰りの飛行機のチケットは、当たり前だが依然 Departure time 12;30 のままなのだから、、、。

その日から幾度となくこの帰りのチケットを眺めては、その度に不安になる。もし乗り遅れでもしたら、翌日にはヴィザが切れ、不法滞在者になってしまうという懸念も不安を煽る。

そこで一計を図ることにした。出発は14時30分に変わったが、もし、万が一、チケットに明記された12;30に飛んだとしても間に合うように行けばいいのだ!

そして出国当日11時半に空港に到着し空港待機を決め込んだ。

空港は、がら〜んとしていてほとんど人の気配がない!「やはり早く来すぎたか、、」
待合室のベンチに中年の男性が一人座っていたので、何気に話しかけて見た。「僕はインドのデリー行きに乗るんですよ」というと彼は驚いた様子で「その便はもう飛ぶぞ!」という。俺は「あ、知らないんですね、二時間遅れることになったんですよ。先日確認しました」と返すと、彼は恐ろしいことにこう答えた「知らんのか!その後また変更になったんだ、出発は12;00時だ」

GO!hurry up ! 行け、急げ 、、、

そんなバカな〜遅れるどころか定時より早く飛ぶってかよ〜〜〜ありえね〜よ〜!

チェックインカウンターを滑り抜け搭乗口へ駆け込む、荷物検査が待ち構えている。実はここに最大の危機が待っていた!
命に関わるような大袈裟なことではないが、そう!カメラマンにとっては命にも等しい物。

“フィルム”

この時期、許可なしのフィルムの持ち込み及び撮影は、法律で一切禁止だったのである。

警備の一人が壁に向かって指をさす。そこには大きくNot allow carried the film ,,,,,,,,,
見たいな内容が書いてある。そして強制的に大きなテーブルに全てのフィルムが並べられ1本1本ケースから取り出される。

36枚撮り100本近い撮影済みフィルム。3000カット以上の俺の魂の結晶だ!滞在中には、銃で威嚇されたこともあった、地雷原も通った、タリバン軍の砲撃跡にも出くわした。そこまでリスクを犯して撮影した俺の命だった。それを

“没収すると言うのだ!”

まさにfreez 背筋が凍るとはこのことだ、相手が一人ならまだバクシー(賄賂)という手もあったがすでに5、6人がフィルムを囲んでいる。

そこに来て飛行機は離陸寸前である!

俺はこの写真は「全てのインドの観光写真でアフガニスガンの写真は一枚も撮ってない」など白々しいことを言いながら半べそで「どうか見逃してくれ」と嘆願するしかなかった。

警備の連中が何やら協議してる、時たま………ジャパニーズ…………ジャパニーズと言うのが会話のなかから聞こえてくる、雰囲気からいって「仕方ないな〜日本人だから見逃してやるか」と言ってるようだ。
その感はあたり、二度と持ち込まないようにと厳重に注意を受け、フィルムと共に解放された。

後ずけだが許されたのには根拠がある。この時期日本人は圧倒的に特別待遇だっだ。かなりの日本のODAが入っており、首都のカブール市内を走る公共バスは全て日本政府が寄贈したもので、大きな日の丸が、いやらしいほど目立ってた。ほかに難民キャンプの井戸や復興事業で、いたるところに日の丸を見ていたからだ。観光で来る日本人などいるはずもなく、出入りする人間は必ずそれらの機関に属すると想定されるはずである。

なので日本人とは極力トラブルは避けたかったのだろう、、。

そうは言ってもこの時は、やつら(検査官)の気が変わるのでは、とか上からの命令で引き戻されるのではないか、とかで、ハラハラ、生きた心地がせず、飛行機のタイヤが地面から離れる瞬間まで不安でいっぱいだったのであった。

無事インドのデリーに着き外に出ると40度以上!フリーズから灼熱へ、、。

滝のように汗が流れる、、、あんなにしたかったおしっこがぜんぜんしたくない!全部汗で出たのか!緊張とともに、、。

事務局員紹介 仏陀バンクプロジェクトリーダー 伊勢祥延(いせよしのぶ)

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