『後日談』
数日後日本に帰ると上川氏から連絡があった。何か動きがあったらしく井本さんから送られたメールが転送されて来た。そのメールはアシシュが井本さんに宛てたものだった。内容はCSを離れたいと言ってきたようだ。
Dear Imoto san,
Thank you always.We have good meeting in Bangkok.I can talk with specially Ikegami sensei and all paricipate of another country.
以下日本語ローマ字
Ise san and kamikawa obosan visited Bangladesh.Ise san tamani hanashi ga sujii nai.Tatoiba,meeting toki bangkok de watashi ga Bukkyo no subarashi koto okano shukyo no hitotachi to share dekireba sekai heywa no tame ii to omoimasu hanashitara,kare wa hayashi san ni watashi wa hayashi san no speech o follow shinai to hanashimashita.Ise san jibon mo wakaranai naka watashi no koto minna ni warui insho ataete iru so desu.Chanto suiaku dekinakattara hanashishinai hoga minna no tame ii desu.Bukkyo no shinja wa kuni kawatte mo wake nai.Aung no hanashi kiku to kare wa hill track no bukkyo to chittagong bukkyo waketeru.Kare wa chugoku jin mitai ura to omote ga aru hito.Yoku wakaranai hito.Ise san to kamikawa san no hanashi dewa karera watashi no koto shinnyo dekinai.Hajimete konna koto wakarishita.Karera tabun watashi no koto iranai to om
ot temasu.konna surai koto no naka tanoshi koto wa mura no hitobito tasukeatteru koto.Watashi jibon no inaka no repoto chanto raishu okurimasu.Repoto dashite karera to katsudo suru no yamemasu.Buddha wa watashi no koto wakarimasu.Mata Itsuka deai dekiru to omoimasu.Karada kyuskete Ganbatte kudasai. Domo Arigato Gozaimasu
Ashish Barua
訳アンダーラインのみ(下)______
親愛なる井本さん
いつのもお世話になってます。私たちはバンコクでのミーティングにおいて素晴しい時間を過ごしました。
(以下は日本語ローマ字を直したものです。よくわからない日本語もありますが、そのまま写しました)
伊勢さんは時々話が通じない。たとえば私が仏教の素晴しいことを、他の宗教の人たちとシェアーできれば世界平和のためいいと思います。と話したら彼は林さんに私(アシシュ)は、林さんのスピーチをフォローしなかったと話ました。伊勢さんは自分(アシシュ)の事を分かりもしないのに私の事みんなに悪い印象を与えている。ちゃんとしょうわく出来なかったら話さない方がみんなのためいいです。仏教の信者は国変わっても分けない。アウンの話聞くと彼はヒルトラックス(広陵地帯)とチッタゴン(ベンガル仏教)の仏教分けてる。アウンは中国人みたいに裏と表があり分からない人で、伊勢さんと上川さんの話では彼等私の事を信用できないと言っている。初めてこんな事わかりました。彼等たぶん私の事いらないと思ってます。
活動するのやめます。仏陀は私の事分かってくれます。
どーもありがとうございます。
アシシュ・バルワ
俺はあきれて口をあんぐり開けてしまった。
それ以上に幼稚な中身に落胆する。自分の過ちを人のせいにして、まったく反省のかけらもない。
堂々とこちらに言って来るわけでもなく、子どもが陰で親に言いつけるような…。
哀れな男だ。我々は失態を繰り返す彼を許し、反省を求めチャンスを与えた…。
仏陀は私の事分かってくれます~!
あ!っそう
…俺たちは仏陀じゃない…
当人からメールを受け取った井本さんはこう伝えて来た。
離れるなら離れるでそれも道。
ただ遺恨が残ってるみたいなので、きちんと整理しておいた方がいいと思います。
中略
バングラで活動を続ける場合には、必ずバルワの仏教徒と面を合わせることは必須です。
しこりの無いようにしておいた方が後先の為には良いかと思います。御一考されることを願いおります。
そうなのだ… たいせつなのは団結、多民族が結束しないとこの国はよくならない。
イスラム教国家バングラデシュで彼らがバランスを取り生き延びていく唯一の方法は、仏教という共通点を活かし結束すこと以外にない。そのためにもベンガル人仏教徒バルワ族の協力は欠かせないのである。
まいったな~さあどうしたものか…
そんな時タイムリーというか絶妙のタイミングと言うか、ある女性から僕のブログを見て投稿があった。ブログの内容は僕のバングラデシュでの出来事を日記にしたものなのだが、その女性はバングラデシュに何度も訪れており、なんとアシシュと15年以上の付き合いがあり、さらにあのシャンガプリア僧侶とも親しい関係にあるという…!
早速連絡を取ってみた。
彼女とアシシュとの出会いは、アシシュがまだ日本の横浜にいるときだった。
アシシュは日本で10年ぐらい暮らしており不法滞在で見つかり強制送還された。
その後も連絡を取り合い彼女はバングラデシュに何度も行きアシシュの家にホームステイしている。彼の妻や両親とも親しく家族ぐるみの付き合いをしていたそうだ。彼女いわくアシシュの家族は自分の家族同様だという。
そんななかアシシュはバングラデシュで最初のCSのメンバーとなり、サイクロン被害の特にひどかったボツアカリ地区での被災者支援さらには、焼き討ちで燃えた村カグラチョリでの救済活動を井本さんより依頼された。(2008年南部デルタ地帯がサイクロンにより壊滅的被害を受けた。また同じ年ジュマ族の暮らすチッタゴン広陵地帯カグラチョリで、家屋数百世帯が入植者によって焼き討ちにあった)その時この女性も一緒に同行し救済活動したのだという。
その時書いた活動日記もありいつでも見せれるという。
メールにはその時の様子が事細かく書いてあった。大人数でかなり大規模に行なわれシャンガプリア僧侶やスノモジュテ僧侶も参加した。アシシュと僧侶がすべての取り決めを行い支援活動が続けられたそうだ。
そのやり方にはいろいろと問題があるのかもしれないが、当事者でなく現場を知らない俺にとやかく言う資格はない。
すくなくとも彼なりに頑張った様子が文面から見て取れた。
なぜなら「アシッシはCSのリーダーであることをとても誇りに思っています。」の一文…
彼女が言うにはアシシュが一番輝いてたのは、日本で過ごした青春時代。バングラデシュに戻って来たはいいが全く馴染めない。さらに強制的に結婚させられた。
日本に戻りたいけど戻れない(入国拒否のため)タイやイギリスにも行ったがうまく行かずに戻って来たのだという。
何もかも両親や兄弟のせいにしたり日本でいかに稼いで母国の家族にお金を送ったかなど何度も聞かされたという。
支援活動を一緒にした仲間を悪いやつだと言ったり、証拠もないのに自分の店で働いてる人間が盗みを働いてとんずらしたとか言っていたそうだ。
そう彼は精神が病んでいると…。それは彼がバングラデシュで生活する限りどうすることもできないのだとも…。
「そんな中でアシシュの唯一の生きた活動がCSなんです。」と彼女は綴る。
さらに「彼の唯一の希望は日本にもどること」だともいう…。
なるほど思い当たる節があった。今回バンコクで行われた会議、日本側からの投げかけで、CSジャパンに何か希望をする事はありますか?と尋ねたところ手を上げたアシシュ、何を言うかと思うと「CSはCSの未来にのためにも各国のメンバーがもっと活動しやすくなるよう組織として影響力を持ち日本のビザが撮れるよう政府に働きかけるべきだ。」などといっていた。俺は何をトンチンカンなこといってんだこいつ??と思った。
それは外務省のやることだろう。震災のときなど海外からの支援者が来る時でもないかぎりあまり関係ない。
それよりも現場のプロジェクトを成功させるための提案とか、ワークショップや何か新しいアイデアに対しての応援をを依頼するか、、。
俺は確か「ナット、プライオリティ」優先する事ではないと答えた。
なんだかんだにかこつけて日本に戻りたいだけじゃん!
この女性からとてもありがたいアドバイスをもらったので掲載させてもらう。
バルワの協力を得るためにはアシッシの協力はとても重要です。私はバルア一族と関わりがあったので、よくわかります。バルア同士、仲が悪かっても何かの時には結束して向かってくるでしょう。
それにバルワ一族の中でもアシッシの家庭は教養もあり、上流家庭であり、外国・外国人にも理解があります。特にアシッシの両親は人間として尊敬できます。アシッシの家族は他のバルアからも一目おかれています。私はアシッシ家族以外にも多数のバルアと面識ありますが、仏陀バンクの適任な人はなかなかいません。基本、(坊さんも含めて)みんなお金大好きで、金持ち願望がものすごく強いですから。
アシッシは少なくともお金の横領はしていません。私に対して一切お金を貸してなど言ったこともそんな素振りを見せたことはありません。アシッシみたいに裕福で自由な時間がとれる人はそうそういませんよね。バルアの村人の中から適任者が見つかればいいのですが。
さらに共感とねぎらい言葉
バングラデシュでの活動、大変ですね。お気持ちはとてもわかります。日記を見させていただいて、その光景が容易に想像できました。はっきり言って私が出会ったバングラデシュ人の9割は信用できません。うそつきで金、金、金で。私も何度も騙されてきました。
ウェルカム トゥ バングラディシュ
俺は彼女の言葉を信じアシッシュを許すことにした。
翌日アシシュにメールを送った。
「あなたにとってCSは希望だと聞いてます。ほんとうにやめてもいいんですか?もう少し頑張ってみてはどうですか?」と…
後日アシシュから来たメールには、「ありがとうございます頑張ります。レポートを送ります」と書かれていた。
さらに上川氏も激励のメールを送り、帰って来た返答、その最後の結びには「日本に戻りたい」と書いてあったそうだ…
7月1日アシシュより写真と報告書が送られて来た。
それは今回僕達が訪問して新しく決めた、バルワ族の暮らすポットバラ村(ウノポン担当)で第7番めのブッダバンクだ始まったという報告だった。
受益者は男女半々の15人全員が同じ5000タカ(5000円)家畜や作物の生産および生活用品の販売などでそれぞれ持続可能な自立を目指す。
この日新たに始まったBOBブッダバンク開設にあたり、その中心となって仕事をしたのがこのアシシュだった。
…ミスターデモクラシー!じゃなかったミスターCSバングラデシュが帰って来た…
第7番目のブッダバンクスタートとアシシュ
写真に写る彼は以前より輝いて見えるのは、気のせいだろうか…
ナマスカール
おわり
文:写真 伊勢祥延