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バンダルバンよりバスでランガマテに移動。
3時間の道のりだが、ローカルバスだと130タカ(150円)と安い。だが席がとても小さく、僕は大きな荷物があるため、二つの席を確保していた。のちにそれが功を奏した。
なぜなら移動中、アリババが出たのだ。バスは大きな川を渡るため一度渡し舟に乗る。その時、何者かがルーフに登り隠れて、積んであった荷物を盗もうとした。河を渡って少し走行してから運転手がそれに気が付き急ブレーキをかけた。バスの後方で大勢の男たちが集まって喚き散らし、族らしい若い男は両手を掴まれ、泣ながら何か叫んでいた。
その後暫らくしてバスはまた走り出した。
アウンが、気を利かせて席を二つ確保してくれていたおかげで、何も心配しないですんだが、そうでなければインドやネパールの旅と同じように大きな荷物は、ルーフに積んでいたことだろう、、。
1&1b、 地図
ランガマテの現状について少し書いておきます。
緊急支援を行った昨年のコックスバザール、ラム地区での寺院破壊事件の数ヶ月前、ランガマテ地区でイスラム教徒と仏教徒の学生による大きな暴動があり、軍が介入して仏教徒の民家、数百を破壊した。本来CSとして今回の訪問の目的は、コックスバザールのラム地区と同様に、ここランガマテの緊急支援も申し出ていた。
が、これはどちらも政治的事件である。どちらか一方を支援することは、事件及び政治問題に巻き込まれる可能性が強い。したがって、アウンやピブロップの指示もあり、中止にした。
ランガマテでは、同じチャクマ族の政治的対立が激化しており、反対勢力の活動家を誘拐するという事件が多発している。現在まで70件以上も起きていて、実際に、政治活動家であるビブロップの弟さんが誘拐されたそうだ、、!
夕方ランガマテに到着、10ヶ月ぶりにビブロップと再開した。
滞在予定は24日まで。数カ所の村を訪問してここラガマテ県に新たなBOBサイトを立ち上げる予定である。この地域には街から孤立して電気もなく、ナランギリボリバラ村のように、農業や林業だけが収入源の地域も多い。
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さっそく最初のBOB候補の村に向かう。ラガマテ市から1時間ぐらい、湖畔沿いモクバン地区にあるチャクマ族のゴラストリ村を視察した。
2、ゴラストリ村入り口
3、道の奥がゴラストリ村
この村近くに3年ほど前に幹線道路が出来たおかげで、アクセスが容易になったが、それまでは、街から孤立しており、ボートでしか交通手段はなかった。美しい湖畔沿いに位置し小さな寺と集会場がある。見た感じだけでは、のどかで平和な土地だが、現実は電気も無く貧しく生活するだけがやっとである。
野生の猿が群れになって出没した。聞くと頻繁に果物畑を荒らし、かなり深刻だ。
村は約120家族、小学校と中学校が一つだけ。主な産業は漁業とフルーツガーデン。敷地は3エーカーほどと小さい。
4、ゴラストリ村の集会所と寺
5、ゴラストリ村ミーティング
若い(多分20ぐらい)住職と60人もの村人が集まってくれ、結束の強い村と感じたBOBの話にも熱心に耳を傾け理解を示してくれたようだ。毎回感心するのだが、ビブロップの説得力は凄い。僧侶は若いが、それだけに純真で、村に尽くそうと前向きな姿勢を感じる。
6、まだ若いゴラストリ村の住職
ゴラストリ村でBOBをスタートする場合、キーパーソンとなる人材には、うってつけな人がいる。ビブロップのBOBの話に共感して一緒に説明に当たってくれているゴラストリ村出身の,ディパンチャクマさんdipan chakmkだ。
BOBの話をする上で、ビブロップの担当する、同じランガマテ県のディグリバ村での成功例は、住民たちを納得させれるのに大きな力となった。
7、ゴラストリ村出身のディパンチャクマさん
彼はビブロップのアシカファンデーションに務めるプログラムディレクターのコクシさんの旦那さんで、英語も出来、奥さんのコクシさんと共にBOBを管理することが出来る。ちなみにディグリバ村の細かい数字の管理も彼女が担当している。
村の女性達に、「他に必要とするものはありますか?」と質問した。編み物の機械があれば、仕事と収入を得られるという返答が。値段は10万ほど。
以前見た事がある。それは数人で扱う事が出来る大きなソーイングマシーンだ。確かに効率もよく生産が可能な機械で、もしあれば画期的であろう。
しかしBOBはあくまでも小規模融資なので、方法としては共同でBOBから借り入れし、皆で出資することを検討してみるのもいいのではと答えた。贈呈されるのではなくみんなで購入するのだから、皆で大切に使えるのであろう。
8、ゴラストリ村の女性達
BOBは、始めはわずかな予算だが、金額では無く、その土地に種を植えることで、小さな苗となり、年々大な木となるよう育て根づかせていく事が肝心なのですと伝えた。
最後に伝えたのは、「この時点で、僕として是非この村で始めたいのだが、さらに幾つかの村を見ないと決められないので、今回BOBを始められなかってらたいへん申し訳ない、、。」いつも思う事、、。期待させて、何も実行できないのは自分としてもとても歯がゆく切ないのだ。
9、ゴラストリ村にて
4/21
昨日ゴラストリ村を案内してくれた、ディパンチャクマさんと共にバイクで、チッタゴン、ダッカに通じるメインロードを西に10キロほど走り、チャクマ族のガグラ村に到着した。
ゴラストリ村とは違ってここは、600世帯とかなり大きく、電気はもちろん通っているしマーケットもある。小中高を兼ねた大な学校があり。比較的大きなお寺に100人近くの住人が集まっていた。
10、お寺の入り口で向かえてくれたガグラ村の人達
11、ガグラ村のミーティング
住職も参加し、BOBの説明会が行われ、終止村人は、興味深く聞き入っていた。英語のわかる人もいて、理解者が広がる。ここでもやはり3年目になるディグリバ村の成功例が、強い説得力を発揮する。
現実問題、日々の生活に切迫しているだけに、難しい仕組みや理想よりも、具体的な数字、実例は、リアリティーがありBOBを広げるうえで何よりも効果的だ。
12、ガグラ村のミーティング2
余談だが、僕はこの村はを訪れた最初の外国人らしく、参加した住民全員が握手を求めて来た!!僕はうれしく、一人一人目を見て握手を交わした。印象的だったのは、彼彼女たちの純粋で、澄んだ目だった。何と罪のない目をしてるのかと、心を洗われる思いだった。
13、記念撮影
14、記念撮影2
少ない予算及び人口の多さを考えると、今回はこの村でのBOBは難しい。だが、こうして多くの村を回り、BOBを知ってもらい、そして交流することで信頼関係を深めて行く事が、必ず次に実を結ぶことと信じる。
15、見送り
CSメンバーでランガマテに暮らすピブロップは、2015年を目処に個人資産を投入し10万タカ規模のBOBを数カ所で始めたいという。もちろんCSの活動としてである。
さらに2020年には、BOBを少なくても百箇所に広げると息ごんでいる。彼もBOBにかけているという。ありがたいことだ。CSの予算は少なく、多くの地域で始めるにはどれだけ時間がかかるかわからない。ランガマテ州だけでも7800の村があるという。こうして地元の有志が率先してBOBを進めて行く形も新たな方向としてありではないだろうか。
今年、初参加する予定のセカヘイで、そのあたりの事をプレゼンしてもらう。
4/22
トンチョンガ族の村を訪問することになった。
数日前ビブロップがマネージメントするアシカプロジェクトのオフィスに来ていたNGOで活動する、トンチョンガ族Rrani Tonchong ロニ トンチョンさんを紹介された。
BOBに強い興味を持った彼に、是非村を訪問して欲しいと頼まれ、僕はBOBの立ち上げは出来るかどうかわからないが、こちらとしても、トンチョンガ族の参加は、願っても無いことなので、是非訪問させて下さいと答えたのである。
現在までにバルワ(ベンガル人仏教徒)の他、エスニックのマルマ、チャクマ、キャン、アラカインで立ち上げたBOBである。さらにトンチョンガなどの多くの部族が加わることは、CSの推し進めてきた理念、ソリダリティーの基盤であるからだ。
村は、ランガマテ市からカプタイ湖沿いを南に30分ほど行きタブラチョリという町に入る。そこからモーターリキシャを乗り換え、途中から歩き船着場へ。そこからからボートに乗り村へ向かう。
16、船着き場とロニ トンチョンさん
17、ボートのルーフに乗って村に向かう
18、船上から
同じランガマテのディグリバ村と同じくボートだけが町への交通手段だ。40分ほど進むとみ、細く入りくねった入江を奥深く進み、岸に着く。
ディグリバ村は岸を下りてすぐに村があるが、ここは大きな田園が広がり、泥が乾いただけのあぜ道を永遠と歩く。雨季になると泥にぬかって歩けなくなる。代わりに道脇に細い川が水路となっており、ボートで移動する。
あぜ道を30分ほど歩くと、トンチョンガ族のマニチョリモ村に到着した。
19、入り江から水路奥深く進む
20、田園が広がる
21、あぜ道
村人の集まるお寺の階段には、歓迎のため着飾った女性たちが花を持って両サイドに並び、僕の進む足元に花びらを蒔く。首から民族伝統の布をかけられ、寺に上がる時には足まで洗ってくれる。
最大級の丁重な扱い。今までで最高の歓迎ぶりである。それが理由というわけでもないが、豊な自然に囲まれ静かで美しい景色とのどかな田園風景は、歩いている時、この村にもう一度来たいと感じさせるには十分だった。
22、寺の階段で花を蒔きながら歓迎
村は200家族ほど、寺には僧侶も含め100人ほどの人が集まった。電気は無い。産業は米と果物や野菜の生産および僅かな家畜、漁業。建設中の学校があり、やけにでかくて立派だ。教師は3人だけなのに、、、!ここ出身の政治家が建ててるとか、、。
今回訪れたBOB候補の地域の中で明らかに孤立している村でありBOBの需要は大きい。
帰り際には、採りたて濃厚のオレンジジュースにバナナをひと束手渡され、細かい気配りに感動した。
23、トンチョンが族のマニチョリモ村のミーティング
24、マニチョリモ村の住職
25、マニチョリモ村のカリバラ(長)と後ろに見える似つかわしくない大きく近代的な学校
今日までにここランガマテ地区で3箇所の地域を回ったが、当初予定していた一箇所だけの選択は、非常に難しくなった。そこで、額を小額にし、2箇所で始めることを検討する。とにかく今日はかなり歩いてへとへと。
26、みんなで見送り
27、みんなで見送り2
28、みんなで見送り3
29、帰り道
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またあのホルタル(ストライキ)である。それも明日の夜まで続くそうだ。いつも突然決まるので予定がぶち壊しになる。ランガマテ地区は特に厳しく、水路の舟も含め全ての乗り物が止まり、交通手段は全滅。
特に外国人を伴っての移動はリスクを増すらしく、僕は何もできず半日はホテルで過ごし、あとはアシカのワークショップなど見学した。メインの道には、全く車両は走っていなく多勢の人が歩いている。
30、ホルタルで車両の走っていな道と閉まったお店
そんなわけでこの日予定していた、カピタイ湖の離島の村、BOBの筆頭であるディグリバ村の訪問は、残念だが中止になった。
全てのBOBサイトを回るつもりでいたので、悔しい気持ちだが、ディグリバ村には、ビブロップを通し電話で事情を伝えてもらった。村のカリバラ(リ-ダー)は、こんな事情で申し訳ないと言っていたと、ビブロップから聞いた。ディグリバ村では集会を準備し、僕を向かえる用意をしていてくれてた。
明日の24日に予定していた新たな地域でのBOB立ち上げは、移動が許される25日の夜12時以降にCS CHTのメンバーが集合する。その時打ち合わせを行い、翌朝実行に移すという強行手段でいくことになった。
そしてその足でチッタゴンに向かう。何故なら26日にはアシシュとの取り決めでバルワのBOBサイト全3箇所を回ることになっているからである。これを延期するとなるとバルワ側から非難を受けることは必至だ、、。
疲れが溜まっていたのか、先日の長距離歩行で暫くおとなしくしていた座骨神経痛が息を吹き返し、この二日間は休憩になって逆に良かったのかもしれない、、。
4/25
朝、アウン、ピブロップほか担当のディポンチャクマにスタッフ合わせ5人で、ランガマテに来て最初に訪問したチャクマ族のゴラストリ村を訪れ、新しいブッタバンクを立ち上げた。二箇所で始めるため原資は35000タカのミニマムである。一箇所の予定が2箇所になり金額が減ったので、来年様子を見て追加したいと伝えた。
31、ゴラストリ村で新しいブッタバンクを立ち上がった
32、記念撮影
そしてその足でカプタイ湖をボートで渡り、トンチョンガ族のマニチョリモ村へ向かった。寺の住職のもと、担当のロニトンチョンガさん及びアウン、ビブロップによるBOBの説明のあと、4万タカを住民に手渡した。
33、マニチョリモ村でBOBスタート
34、マニチョリモ村BOBスタート2
35、村の綺麗どころ
この村では、はじめに訪れた時をはるかに凌ぐ今までに類のない、村あげての歓迎ぶり。村人ほぼ全員が集まり、民族衣裳を纏い、お寺の石段に並び花ビラを蒔く。伝統楽器による演奏と、伝統芸能のほか、食事や民芸品のお土産まで頂き、いたれりつくせりだ。村人の真心のこもったもてなしに涙するほどだった。
36、お迎え
37、お迎え2
38、伝統音楽の演奏
39、伝統のゲーム
40、伝統のゲーム
41、伝統音楽の演奏2
42、民芸品のお土産をもらう
この村では1990年にとても悲しい出来事があった。バングラデシュ軍の兵士による村の女性への集団レイプである。その数40人。12才や14才の少女まで含み、妊娠した者はすべて中絶されたそうだ、、。
43、寺の窓から
44、さよなら