
8月8日午後、
ダッカ到着。夕方市内のホテルにて、ミャンマーから帰国したアウンと合流。
理由は翌日法務局に一緒に出向き、申請してあった「丘陵地帯への入場許可書」(以降パーミッションと記載)の所得のため事前に指示されていたのである。アウンはタイミングを合わせ帰国しダッカで合流、直接2人で赴く事がより許可の可能性が高いと考えていた。それ以外はさらにお金と時間を要していただろうとアウンは言う。
実際それほど今回のパーミッション所得は困難な現状にある事を後に痛感する事となった。
夜、今日から8月27日までの19日間及び、上川さんと合流してからの9日間の全日程を検討する。
スケジュールの変更を余儀なくされる事を念頭に入れなければならない。
理由
1、雨期のため水没や封鎖など道路事情がきわめて悪い。
2、治安の悪化
3、当局による監視で活動に制限がかかる可能性
視察中、検問などで軍や警察の尋問を受けた場合、バンダルボン県ではエコプロジェクトと、ラガマテ県ではアシカファンデーション、カグラチョリ県はジュマファンデーションを訪問する。とだけ答えるように!その他の事は何も言わないようにと強く指示をうける。
8月9日
朝8時出発しダッカのホーム局へ、渋滞で午後1時到着。厳しいセキュリティーの中、アウンの知り合いの役人が現れ、法務局から少し離れた別の役所の建物に移動。人目のつかない待ち合いの椅子に腰掛け、こっそりとパーミッションとお金の受け渡しが行なわれた。この時の手数料(非公式)前金2000タカ、現場で8000、後追加2000タカ。内訳として役人4人に分配、追加の2000はこの時現れた役人が後日電話して来て、「他の3人に全部盗られたので俺の取り分が無くなったから追加してくれ」という物だった。やむをえず払う事にしたが、さらに数日後また追加を要求して来る始末「これ以上は日本人にたたかれるから無理だ!お前も日本人に叩かれたいか!」とアウンは切り返したという。
パーミッションを所得するまでの流れはこうである。公式NGOの資格を持つバンダルボン県にあるアウンのエコプロジェクトとラガマテ県にあるビプロップのアシカファンデーション、カグラチョリ県にあるスジェルのジュマファンデーションによる詳しい詳細なスケジュール表を作成する。内容はキノコや蜂蜜、フルーツガーデンなどのプロジェクト現場視察などが分刻みで事細かく記載されている。
それらの書類と申請に必要なドキュメントを法務局に提出。そこから各県の行政に送られ、さらに各地域の軍の諜報局に渡る。軍の要請でピブロップやアウンの説明義務が生じ質問に答える。そしてもういちど法務局に書類が戻されることになり、意図的に手間と時間を要する仕組みになっている。
昨年の暴動、破壊事件以来締め付けが増しており、外国人の入場には神経を尖らしている。これまでの渡航ではなかった事である。
この日8月9日はちょうど国際先住民の日に当たる。そのためダッカ大学にて先住民のイベントが行われており、敷地内に20ほどのNGOによるブースが設けられていた。アウンのエコプロジェクトのブースもあった。各土産、山岳の山菜やハンドクラフトなどが展示され、ステージでは先住民の踊りや唄が披露されていた。
その中にアウンの知人で、NGO ECSDI(Enviroment Climet….)の代表がいた。彼はアウンに質問した。あの日本人はどうやってパーミッションを取ったんだ!?
なぜならこのNGOの代表は3人の外国人のドナーを迎えるためにパーミッションの要求を法務局にしているのだが、そのうちの1人は2ヶ月たってもまだ所得出来てないという。
17:00~19:30
ダッカ市内でのエコデベロップメントと地元企業によるミーティングを傍聴
20:30
夜行バスでバンダルバンへ