「僧伽の響きに宿るもの」高山龍智

************************

【僧伽の響きに宿るもの】
合掌。南無一切佛。
高山龍智と申します。此の度、忝くも四方僧伽様の善巧摂化により、拙が身読せる天竺人の言乃葉について些か愚見を披瀝させて頂くこととなりました。
さて我ら日本仏子は日々、漢訳仏典を読み、そして学んでいます。各宗の御祖師様方は菩薩の慧眼を以て経巻の紙背へと達し、遙か天竺は霊山の會座、祇樹の法筵に直参なされました。然るに我ら凡夫、未だその字面にとらわれ、ただ耳に馴染んだ〈漢字文化圏でしか通じない仏教語〉に思考を囲い込まれているのではないでしょうか。
一方、今や各方面で「国際化」が云々され、また途上国と称されるアジア各地の仏教徒が人類の未来を担うであろう時代がやって来ました。彼らの仏教徒としての共通語は、パーリ語でありサンスクリット語です。しかもこの二語と流れを同じくするヒンディー語は、いまも《ブッダが生きた国》インドの日常会話で使われているのです。
そこで拙稿は、既に日本に定着し、それぞれ宗風に帆を預けた漢訳仏教語を、その原語に立ち返り、インド人同士なら説明不要で通じ合う感覚の次元から見直して、改めて現代日本語の中で考えてみよう、という試みです。

DSC_0127DSC_0123

現代インド仏教会本部ナグプール市インドーラ寺本堂の法要風景

『僧伽』とは?

そのまま音読みして「そうぎゃ」という場合もありますが、これはサンスクリット語のSangha(サンガ)の音写、つまり当て字です。ではサンガとは何か?
インドの正式名称は英語で「Republic of India」(インド共和国)、サンスクリット語では「Bhaarata Sangha」(バーラタ・サンガ)といいます。バーラタはインドの古称ですので、共和制=Republicのことを、サンガというのです。またインドではNetworkやDemocracyの訳語としてもサンガは使われます。
ちなみにこれを、音写でなく意味をとって漢字にしたのが「侶」。伴侶の侶、パートナーですね。そして音写と合わせて作られた語が、僧侶。
さて、インド人の言語感覚においてサンガは、サングティー(団結)、サンガルシュ(平和的闘争)に言葉の響きが繋がります。つまり、お気付きのように原義には、いわゆる特権階級の聖職者といった意味は、まったく含まれておりません。
これらを踏まえた上で、サンガの響きに宿るものを現代の日本語でいうなら、
『僧侶とは、共に歩む社会活動家』
ということになるでしょうか。

Sadhu, Sadhu, Sadhu. (サードゥ、サードゥ、サードゥ)
漢訳:善哉善哉
I feel alright, you feel alright, everybody gonna be alright.

IMG_8832

〈高山龍智〉

アンベードカル博士国際教育協会日本支部参与。日印往復歴二十年以上。現代インド仏教指導者:佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社新書)編者。

Comments are closed.