四方僧伽 カンボジアミッション  文房具編

2014/07/23

写真0、プノンペン上空

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2014年7月23日朝、カンボジアの首都プノンペン国際空港に到着。
現地NGO、四方僧伽 カンボジア代表のキエさんが迎えに来ていた。
今回の参加者は僕を含め、北海道から伊勢、上川、東京から鈴木、夕方九州から合流する日名を合わせた日本人スタッフ4人である。

僕らをを乗せたキエさんのピックアップトラックは、今ではすっかり近代化した大都市プノンペンを後にし、休む間も無く北部ベトナム側に位置するコンポンチュナン県、イスラム教徒チャンバ族の暮らす、スレイプレイ村(Kampong Chunang県Srey Prey Village) へ直行した。

写真1、近代化したカンボジアの首都プノンペン

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約3時間のドライブのあと、村の学校に到着。村の代表と数人の現地スタッフが待っていた。
学校は、カンボジアの田舎特有の黄色い壁に赤い日干しレンガで出来た平屋で、教室の数は低学年から高学年まで合わせて4クラス。

写真、2、3

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人口280家族、約1,000人ほどの小さなむらだが、この辺りでめぼしい小学校はここだけらしく、近隣の小さな村からも子ども達が通っている。
そのため生徒数が多く、午前と午後の2部に分かれ生徒が全員入れ替わるという授業方法をとっている。
日本から持参した文房具のうち3人で持ち寄ったノートの数は約140冊。北海道と東京の協力者のほか、九州の「朝倉市立馬田小学校」と「筑前町立中牟田小学校」の生徒さんから預かった大切な贈り物である。重量制限のため重たいノートは、これが持参出来る限界だった。
写真4、スタッフみんなで準備中

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生徒数は午前と午後の部を合わせて250人、全く足りない!

…まいったこのままでは渡せない…

物資や食料品を配給するときは、必ず注意しなければならない事がある。それは、渡らない人が一人でも出ないようにする事である。なぜなら時に混乱や争いの原因になるからである。管理者のいる学校で相手が子どもといえども、そのルールは守らないといけない。
以前アフガニスタンの子どもにペンをむやみに配ったことがある。すると取り合いや喧嘩が起こり、一番強い男の子が、みんなから奪っていた!さらに場合によっては、親に取られ次の日には市場で売られている事もある。同じくアフガニスタンの難民キャンプで食料の提供を申し出た事がある。それはそれは物々しい作業になった!
武装した警察官を配備し、金網の中で一人一人名前を呼び、名簿をチェックしながら渡す。今は来れない人にも渡るよう、また同じ人に渡らないように細心の注意を払うのである。

写真5、アフガニスタンで食料の配給をしているところ

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話をもどします。

このとき先生方とも話し合い、今いる午前の部の生徒約120人に、この場でノートと鉛筆を配り、残り約130人分は、後日必ず届ける事を約束した。

不足分は現地で購入する事となり、想定外の出費であるがこの際しかたがない。
なによりも文房具を受け取る子ども達一人一人の輝いた目、目、目、うれしそうにはにかんだ笑い、笑顔の連鎖、そして仏教国ならでは、小さな手で合唱する姿がなんとも愛らしいではないか。
人数が少なかったら一人一人ぎゅっとハグしてるところだ(笑)

写真6、7、8、9、10、11、12、13

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今日まで文房具の寄付を皆に呼びかけ、集め、重たい荷物をここまで運んだ苦労や、出費も、この子達の喜ぶ笑顔がすべて解消してもあまりある…。

…来てよかった…協力して下さった多くの方達に心からありがとう…と言う思いで一杯だ!と同じに責任を果たせた事に、まずは安堵、肩の荷がす~と降りた思いだった。まだ初日なのに…w 他の日本人メンバーからも高揚感が伝わって来る。思いを共有するとき、志を共にする仲間がいることが頼もしく感じる瞬間だ。

写真14

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「カンボジアの子ども達に文房具を届けよう」というプロジェクトのいきさつについて幾つか説明しなくてはと思うので、ちょっと硬い内容になりますが聞いて下さい。

そもそも本来の渡航の目的は、カンボジアに文房具を届けることだけではないのです。
このような活動をするには、現地との信頼関係と協力なしには出来ません。私たちは「四方僧伽」という任意団体で、これまで人道救済支援を中心とした様々なプロジェクトを展開しているNGOなのです。
日本はもちろんビルマ、タイ、カンボジア、チベット、台湾、バングラデシュなど仏教国を中心とした約10ヶ国ほどで展開してます。
その中でもここカンボジアは草分けの土地で、これまで行われて来たプロジェクトとして、
1、農家に必要な米の苗を貸出し、収穫時に苗を戻す循環型の自立支援「ライスバンク」を定着させることに成功しました。
2、生活や農業用水にかかせない貯水池、通称「仏陀の池」を現在まで5カ所、カンボジア各地に建設。
これらの作業を円滑に進めるため、四方僧伽・カンボジア (現地NGO)を設立しており、10年に及ぶ実績と深い信頼関係を築いてきたのです。
これは宣伝しているのでもなんでもなく(笑)文房具ミッションのバックグランドを知っていただき、より深くお伝え出来たらと思ったまでです。
写真15、仏陀の池(貯水池)

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写真16、ライスバンクの米蔵

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そんなわけで各貯水池の建設や、ライスバンクプロジェクトの行程の中で、その地域にある学校への支援をこれまで行なって来たわけです。
これらの地域のなかには、以前は水を汲みに行くのに1時間以上も重いバケツを持って歩かなければ行けない地域や、食べるものが無く雑草を食べなければならないほど貧しい村があったんです。

教育施設なんかは牛小屋だったりしたました。

そこでわれわれ四方僧伽は、人道支援の一環としてこれらのプロジェクトを行なってきました。
また、ただ提供するのではなく、あくまで現地の人たちが自立独立し、自分たちで継続を可能にしていくことを目的として行なったのが、ライスバンク(米銀行)でありブッタの池(貯水池)なのです。今回の本来の目的はブッダの池の水質調査及び米銀行の視察にありました。
ちなみにチャリティーカレンダーの収益金も使われています。

写真17、チャリティーカレンダーから

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翌日、7月25はプノンペンから西へ車で2時間、内陸にあるコンポング•スプー県(Kampong Spoe県)のスヌール村へ(Snul Village 人口:166家族 約800人) 向かった。
そこには現在建築中の貯水池「仏陀の池5」がある。
写真18、未完成の貯水池@「ブッタの池5」の前で読経

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しかし、実際は予算不足で工事は中断しており深刻な水不足に陥ってます。ひたすら雨の降るのを待つしいかないというほど困窮しているということでした。村人とも協議した後、なんとか解決策を見い出しはしまたが、前途は多難のよう。

その後、ようやく子ども達へ文房具を支給する作業に入ることとなりました。
場所は、お寺の敷地内にある村の集会所で、約60人ほどの小学生、低学年から高学年までの子ども達が集り、全員に鉛筆2本と消しゴムが配られた。

写真19、20、21、22、23、24、25、26

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そのあと同じくコンポング•スプー県(Kampong Spoe県)にあるトロッペァンウェイン村(Tropeng veng Village 人口:100家族 約600人)へ移動。
ここは数年前に四方僧伽により建築された貯水池『仏陀の池4」がある。生活及び農業用水として活用され、今では村の生命線となっている。二つの村は比較的近くにあり四方僧伽がサポートするライスバンクの米蔵もある。

村長さんや先生たちが声をかけて回り、村の長老の家の敷地へ次から次と子ども達が集って来た。まだどう見ても学校には行ってない小さな子も多い。

写真、27.28.29.30.31.

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どちらの村でも在庫切れで、ノート類を配る事ができなかった。正直言ってとっても口惜しい…なぜなら前日に訪れたスレイプレイ村の学校では、全員にノート一冊と鉛筆各2本ずつを配っている。
明らかに貧しいこの2つの村にこそ、文房具の支給が必要と感じたからである。
きちっとした学校らしき施設もなく、寺や民家の一部を利用して授業を行なっている様子がうかがえる。スレイプレイスの子ども達は制服を着ていたのに対し、ここの子ども達の服装は見るからに着た切り雀だ…。

…せめて鉛筆だけでももっと多めに渡せたら…

が、、、、!

ガキども、もらった鉛筆でチャンバラしてやがる!(笑)

結果オーライ…まあ次ぎにいかせばいい…。
そんな気分にさせてくれる、しょーもない村の男の子達であった。

写真32、鉛筆でチャンバラ

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写真33、鉛筆ゲーム

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34、35、無題

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今まで多くの国でたくさんの子ども達に出会って来た。差別するわけではないがなぜかカンボジアの子ども達の目の輝きは特別なのである。
余談だが2005年にこの国を初めて訪ね撮影し、その後「カンボジアン ボイス]という写真集として発表したのだが、その時のサブタイトルが「ダイヤモンド アイズ」だった。それほどカンボジアの子ども達の目は輝いて見えた。

写真、36「写真集カンボジアンボイス」から

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帰りぎわ、村人達がたくさんのヤシの実を土産代わりに、それもほとんど無理矢理、僕達の乗って来たピックアップの荷台に乗せて来る。
ここでは何所を訪問しても、ヤシのジュースが実のまま出て来る。ほとんどお茶代わり!とっても美味しく大好きなのだが、そんなには飲めない(笑)隣りにいた日本代表の上川さんが言った。「訪れた人に土産を持たしたいという気持ちはどこもいっしょだな~」

言われてみて気がつく、本当にそうだ。人種はちがえど、施しを受けようが受けまいが、縁を結んだ喜びや感謝の気持ちを伝えようとするとき、人はできるかぎり何かの形で返そうとする。
東北の震災地のボランティアに行った時もずいぶん被災者にお土産をもらってしまった。フィリピンの台風復興支援に行った時も、名産のお菓子や貝殻のアクセサリーなどをたくさんもらった。

人の思いやりに国境はないな~などとしみじみ思ったのであった。

写真、37、38、 ココナッツジュースをはこんで来たスヌール村のカワイ子ちゃん達

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写真39、見送りに出てくれたトロッペァンウェイン村の人たち

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写真40、のどかなスヌール村

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それから数日間、貯水池の水質改善作業のオブサーバーとしてカンボジアに残った僕は、作業終了後の7月29日、約束していた残りのノート、追加分と合わせた130冊を、無事コンポンチュナン県のスレイプレイス村の学校関係者へ引き渡した。

写真41、文房具の追加引き渡し

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これで今回のカンボジアミッションは無事コンプリートしたのでした。
現在皆様からお預かりしたノート及び落書き帳合わせて約80冊、鉛筆100本弱、Tシャツ30枚、色鉛筆定規その他が我が家にストックしてあります。それらは11月に渡航を予定しているバングラデシュに持参するつもりです。
バングラデシュの学校事情はカンボジア以上に厳しく、学校に通えない僻地の子ども達は疎開し寺子屋などを営む寺院に暮らしている子どもも多いです。
そのほか孤児院が多く、現地スタッフがサポートしているところも幾つかあり、訪問を予定してます。
ちなみに前回訪問した孤児院では、生徒はコンクリートにビニールシートを敷いただけの硬い床に寝泊まりをしおり、四方僧伽のチャリティーカレンダー募金から50人分のベットの提供をしました。僕の通っている土地は少数民族の多く暮らす丘陵地帯で、どこの施設も教材などは著しく不足しています。
写真42、バングラデシュの孤児院

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写真43、バングラデシュの寺子屋

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さらにカンボジアにも僕が行けなくとも、毎年仲間が継続して訪問します。
Facebookの呼びかけに答えてくれた方々、遠くから郵送くださった方々、本当にありがとうございました。東京、九州で文房具を集めて下さった方々、持ち寄って下さった方々、ありがとうございました。福岡の「朝倉市立馬田小学校」と「筑前町立中牟田小学校」のみなさん、ありがとう。                                   伊勢祥延
写真44、45、届いた文具と手紙

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写真46、作者

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写真47、四方僧伽、日本とカンボジア代表

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追伸

みなさんから文房具を寄付していただき強く伝わって来た事、それは
”勉強させてあげたい”
という願い、そして母性

嘘じゃなく今タイピングしながら、ふと気づいたことです。自分でもびっくりしてます!なぜなら数十人の方が僕に文房具を届けてくれたのですが全員が女性です。送ろうと思ったけど間に合わなかった人や、今後新たに協力してくれようとしている人を入れてもすべて女性です。そしてそのほとんどが子どもを持ったお母さん達でした。

あらためて世のお母様達に敬意を払います。

おわり

カンボジアミッション 文房具編 PDF

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