第1章 序説 『残された一極』
はじめに
今日も尚、大多数の日本人は徳川体制以来連綿と続いてきた「檀家」(制度)に属しているが、自分を「仏教徒」であると認識している人は少ない。
そしてそれ(檀家制度)が徳川幕府の政治政策に基づく人為的な行政制度であり、本来は非仏教的なものであることを認識する人はさらに少ない。
また、宗教を「信仰」するのは、個人の内面的な問題(当面している悩み事や不安)を解決する為というのが大半の理由であり、そしてそれとほぼ同数の人々が、それらの個人的・内面的な問題が解決されると、やがて「信仰」から離れていく傾向にあるが、多くの現代人は、宗教に癒しの装置(サロン)と考える以上のものを求めようとしていない。
しかし、そのように宗教(信仰)を個人に従属する手段とする見方は極めて近代的で一方的な見方であり、宗教(この場合仏教という仏の教え)が「目覚めた個人(仏陀・覚者)をつくる」という事実を見逃させてしまうという点では、自己肥大的かつ自己中心的ですらある。仏教には「自灯明・法灯明」(自らを灯明となし、法を拠り所として)や「犀角独歩」(犀の角の如く独り歩め)などの教えがあるように、一面に徹底した個人主義を強調しているが、それはそこに言う個人主義の徹底が、「過去から現在そして未来(三世)に亙る一切の物事(他者)との連関性(縁起)の上に、己が生き・生かされていることを透徹し解了する」という意味での個人主義の徹底であって、詰まるところそれは社会(他者)との調和的な生き方(共生)を導くものであることを忘れてはならない。
仏教の「信仰」は、事実には、(三世の時空を集約した)個人の内的禅定(精神的安定)と外的創造(社会的生活・日常生活)の表出表現(振舞い)であり、さらに、そのような「目覚めた個々人」に基づく仏国土の建設(世界平和)という『実現の宗教』に他ならない。仏教が、如何に生きるかを教えるものである以上、それは当然のこと「実現」へと帰結される。宮沢賢治はこれを『世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福は有り得ない。』と要約している。
かてて加えて、現代人は「アーメン」と「南無阿弥陀仏」と「かしこみかしこみ」と「南無妙法蓮華経」の違いなど知る由も無い。「結局のところどれも目指すところは同じだ。」くらいに考えている。これらロゴス(言葉)の中に存する理念と背景、それが一神教か多神教か汎神教か統一神教かであることが、個人の振舞いや生き方に重大な影響を及ぼしていることにも気付かず、況やそのことが人類の歴史を作り上げる規範(照らし鏡)となってきたという厳然たる事実になど無頓着でいる。
一方、仏教は、近代以降の日本に於いて、それが本来持っている社会的な意味を一度も回復すること無く今日の事態に至っている。葬式・法事を中心とした習俗(檀家制度)によって、兎も角も自己存続することができるのだから、殊更に宗教として積極的に自らを回復する必要など無かったからである。
他方で仏教は、1930年代以降、近代西洋に対抗する東洋として、あるいは日本文化の原理として岡倉天心や和辻哲郎、柳田邦夫などの知識人の間に見出され、以後時々のブームとして復活してきた。しかし、それは飽くまでも「芸術」や「美術」としての「仏教」であり、または「仏教」を人間の内面的信仰の問題とのみ看做す極めて近代的で一面的なものに終始していて、事実上、「宗教」とは無関係であった。
繰り返すが、仏教とは『実現の宗教』である。しかし、それを社会に実現すること自体は通常「政治」の領域に属することとされている。イスラーム教を除いて、大半の近代国民国家は「政教分離」の原則を立て、宗教は政治の領域に踏み込まないことを規定されている。政治は、民主的な議会制度に則り、選挙を通して選ばれた代表者が行うものであり、宗教者が勝手に政治を行うことは許されていない。だが、選挙で選ばれた代表者は全体の幸福の為に働くことを前提としているが、実際には(癒着や違反を含めて)自分の側の幸福しか追求されていない。そこには「制度の優先」があり、投票率の低さや組織票による当選などの作為性は「制度」の中に隠蔽されている。そして、その「制度」を逆手に利用した特定の者たちが政治を行っている。民主的であるのは単にその「制度」だけでしかない。仏教は、それを「俗権」と規定し、仏教の「聖権」と峻別している。「俗権」は誤りのあるものであり、常に仏の教え(聖権)に照らしてそこに近づくべきものとされているのである。
仏教は、ここに於いて、近代国家の定める政治領域に明確に介入している。それは「聖権」として「俗権」に相対し、相対することで「俗権」を理想化しようとするものである。つまり、社会は、このふたつの勢力が相対的に屹立する二重の政治状態に置かれるべきことを説いているのである。
このことは「政教分離」に反していない。政治は政治で政治をし、宗教は宗教で政治(社会参加活動)をするのであれば、政教は相対の関係に於いて分離しているのだから。それは「宗教の非(脱)宗教化」を意味し、また宗教である以上「非(脱)政治的な政治化」を志向している。
通般の歴史認識では、「仏教の政治化」は宗教の堕落形態とされているが、それは「政治権力に吸収される宗教」と「宗教の政治化」(厳密には「宗教の非(脱)宗教化」=「非(脱)政治的政治化」)とを見誤った軽率な概括の誤謬に過ぎない。後者は、俗権(政治)に相対する「もうひとつの社会勢力」(これが宗教の非(脱)宗教化=非(脱)政治的政治化である。)となることでそれ(俗権政治)を理想的な平和状態に近づけることを可能にするものである。仏教に於いてそれは、道理に基づいた倫理的正当性(正法)を提示・実践(立正)することを意味し、そのことによって国家の安定と世界の平和(安国)を導くという実践形態を取るものである。
ところで、6世紀に日本に伝来したとされる仏教は、その当初、大和朝廷がその国家統一事業を遂行する為に諸部族の神々を超える普遍的な世界宗教(統治論理の超越性)を必要として導入されたものである。それは宗教が俗権に利用されるという点で「政治権力に吸収される宗教」の一典型であり、事実そこで導入された仏教は「鎮護国家」を標榜した一部の特権階級(貴族)に独占されるものであった。この状況を批判し、新たな仏教運動を興したのが、法然、親鸞、道元、日蓮(客観性を維持する為、拙論での敬称は敢えて略する。)などによる「鎌倉仏教」(13世紀)であった。彼らは国家的な最高学府である比叡山に学んだが、その体制と伝統を放棄し、一般民衆に対して直接の布教を開始・唱導した。
このことは一般に、「仏教の日本化」と理解されてきた。禅の大家と言われる鈴木大拙は鎌倉仏教をして「日本的霊性」の表れと述べ、後続の学者も多く「日本化された仏教」説を支持してきたことで、この理解は広く一般化している。しかし、それは、むしろ仏教が本来持っている社会的な意味を回復したと見るべきである。彼らによる民衆への布教眼目は、人間が本来持っている平等性と仏(教)の普遍性および超越性を強調した点であり、それは仏教の各テクスト本来の教えに他ならない、原点への回帰だからである。戦国時代、15~16世紀の日本で興った京都の法華衆による自治国家の誕生、そして加賀の一向宗が興した「交易する独立自営農民国家」(門徒の持ちたる国)の建設は、仏教の堕落どころか、仏教が本来の姿に息を吹き返したことを示すものである。それは目覚めた個々人による自治国家組織、すなわち「宗教の非(脱)宗教化」=「非(脱)政治的政治化」を遂げた『実現の宗教』本来の姿であった。しかし、彼らの試みはいずれも時の国家権力から(権力者にとっての)統一国家事業を阻むものとして睨まれ、暴力によって徹底的に破壊された。それ以後、仏教の各宗各派は時の国家権力によって承認されること(超越行為の禁止を承諾すること)で存続が許されるようになったが、それは宗教が再び政治権力に吸収されたことを意味するものであり、これ以後、日本では国家権力を相対するだけの力を持った宗教は出現していない。
このように宗教は、それが持つ本来の主張を実現させた時に、国家によって破壊または解体され、吸収されるという宿命を持っている。と同時に、宗教としての意義を失ってしまうという宿命をも併せ持っている。如何に生きるかという宗教の命題が、如何に治めるかという政治の命題に転換してしまうのである。ローマ帝国に反抗的であったキリスト教が、国教として帝国に吸収(利用)されることによりローマ帝国の体制護持者となったように。イギリスのブルジョワ革命(1648年)が元々は宗教革命として興ったように。また、反国家・反資本主義・反ナショナリズムを掲げたウンマ共同体(イスラーム共同体)によって引き起こされたイラン革命が、結局はホメイニの宗教国家(政教一致)を形成し、本来の宗教性を失った「国家」となってしまったように。そして、京都や加賀の独立自治の試みが織田信長や豊臣秀吉によって弾圧され潰えたように。
これらの歴史的事実は、宗教が理想的国家を実現することの不可能性の証左となっていると同時に、理想的な国家は宗教によってしか導き得ないことを証明している。マルクスが、宗教の要求を実現することなしに宗教を廃棄することはできない。そして、宗教の要求を実現するためには宗教を廃棄しなければならないと言ったように。
しかし、それは国家(政)と宗教(教)とを同一の次元、同一の地平に於いて実現しようとしているからであり、国家は国家として、宗教は宗教として独立して存在し、相互に拮抗する勢力として切磋琢磨しつつ継続的に両存するという実現形態があることを見落としている。それは(相対化という点で)「政教分離」であると同時に、両者の没交渉性の否定である。宗教は宗教として、国家に吸収されないかたちを取って、理想的な国家を実現しようとするのが宗教としての本来の姿である。鎌倉幕府からの土地の寄進と宗派承認の申し出を拒絶した晩年の日蓮が身延に入山した真意を、我々は再考も三考もする必要があるだろう。
宗教は、今、イスラーム原理主義とユダヤ・キリスト原理主義との二極間での対立激化という様相の下、世界各地で繰り返し起こっている戦争や内乱に、根底に於いて、深く関与している。アメリカは神の名という正義の下にイラク戦争を起こし、イスラーム原理主義者はアッラーフの命じた聖戦(ジハード)の名の下にテロリズムを断行している。このような状況の中、世界に残された最後の一極として「非暴力」を掲げる「仏教」が、世界平和への可能性を問われるのは至極当然のことである。本論はその可能性について語ろうとするものである。