可能性としての仏教

第2章 『可能性としての仏教』 ~非暴力・反暴力の地平と四方僧伽~

自衛の為の暴力・戦争

仏教の各テクスト(経典)は、元来、超越行動を生むという点でラディカル(過激)である。しかし、考えておかなければならないのは、どうしてそれがラディカルだと受け取られるのかという点にある。

それは、貧富の格差や人種や身分による差別を当然とする社会に対して、あるいはそうした差別のある方が自然であり、差異があることは仕方の無いことだと考えている社会に対して、身分制を否定し、人種差別を否定し、僧伽内に於ける分配の平等を(仏教が)主張しているからに他ならない。また、人間社会の歴史が、過去の王制にせよ現在の議会民主制(代表制)にせよ、人間のうちの誰かをトップに立てる政治体制を作るのに対し、仏教は仏の人格的完全性と仏法の普遍性を説き、超越したものとして人間を教導しているからである。

人間の思考や行動規範を常識とするならば、仏法は非常識である。しかし、仏教に於いてそれは常識以上という意味での非常識であり、仏教を常識とする見方に従うならば、世間の常識は常識以下の非常識となる。人間には過ちがあるが、仏にはそれが無いからである。

こうした理解は、如何にして他の人間を支配し、コントロールしようかと考える権力者の側や、他者から富の収奪を図ろうとする支配者側の人々にとって邪魔になる思想であることは論を待たない。その為、彼らは自らの政治(権力)体制の中に仏教を取り込み、時に異なる宗派どうしを対立させることで両者の弱体化を図るなどして、各宗各派の仏教を政治的与件とすることで従属を強いてきた。現在もまた、国家の定める法律(宗教法人法)の中で、宗教が政治的与件としてそれに従属するという枠組みは全く変化していない。

しかし、仏教者の側にこうした政治体制(俗権)への従属を拒絶する試みが無かったわけではない。日蓮は立正安国(南無妙法蓮華経による国家の是正)を、国家を相手に説きつつ、その生涯に亙って政治権力への従属を拒絶した。また、京都の法華宗(法華一揆)や加賀の一向宗(一向一揆)は、仏法に則った独立自治国家の形成を見るまでに至ったが、織田・豊臣の両政権と武力衝突することによって滅ぼされた。何故、彼らの試みは失敗したのか。豊臣秀吉による刀狩令や太閤地検などの政治手段による一揆の無力化もさることながら、第一の理由は彼らが武力(暴力)を以って武力に対抗したことが挙げられる。そして、第二に、彼らの自治国家が日本という一国内の一地域(一向宗はそれでも広範囲に勢力を拡げていたが、)に、単独で樹立されていたことが挙げられる。

第一の理由に関する反省点は、暴力(武力)に対するに暴力を以って対抗した点にある。尤も暴力には、政治的バランスをとる為の抑止力としての働きや、侵略(戦争)に対する自衛としての暴力という、他の方法によっては解決が困難な問題を孕んでいる為、簡単に暴力の否定ばかりを主張することは出来ない。事実、一向一揆や法華一揆による武力の行使は、明らかに自衛の為の戦争であった。

しかし、戦争は、如何なるものであれ、常に「自衛」を口実になされている点を見逃してはならない。先のイラク戦争は、(実際にはありもしなかったが、)イラクが大量破壊兵器を保有しているから危ないという、我々のセキュリティー(安全保障)上の「自衛」を大義に起こされたものであるように。一向宗が「自衛」の為に戦ったのは事実であるが、同様に、織田も豊臣も自らの「自衛」の為に戦ったのである。故に、逆説的だが、戦争は本来「反戦的」だということである。自己にとって暴力に映る戦争的なもの(脅威)を破壊する暴力(反戦)が戦争を起こしてしまうという「転倒」が生じているのである。故に、戦争を本当に無くす為には、この論理を覆すところまでいかなければならない。

このように、常に「自衛」という大義によって行使される戦争は、人間の本能に具わっている「暴力性=脅威という恐怖心からの解放」という生理的欲求にその原因が見出されるだろうが、しかし、ただそれだけではない。とりわけ近代以降の戦争は、実際には経済的に要求されて起こるのである。政治的優位は軍事力に、軍事力は経済力に負うからであり、経済力は他国での権益(経済支配)を保護(自衛)することで保たれるからである。

チェ・ゲバラの1965年当時での次の洞察に注目したい。

「ある国が解放されると、われわれは、それは帝国主義体制の敗北だというが、しかし、帝国主義体制からの真の解放ないし打破は、たんに独立を宣言し、あるいは革命において武器で勝利を得たりだけで達成されるものではないことを、われわれは確認しなければならない。独立は、一国民に対する帝国主義的な経済支配が絶たれたときに、達成されるのだ。(中略)後進諸国が、はかりしれない汗と苦しみを費やした原材料を国際市場価格で売り、そして今日のオートメ化した大工場で生産される機械を買うことに、“互恵”という言葉をどうして適用することができるだろうか。
もしこの種の関係がふたつの国家の間にできるならば、社会主義国家といえども、見方によっては帝国主義的収奪の共犯者である、と言わねばならない。」(アジア・アフリカ人民連帯機構での演説)

非暴力直接活動

この「転倒の論理」を覆す為には、方法論的には、暴力に対抗する手段の変更、つまり、暴力で対抗するのではなく「非暴力」で対抗することが挙げられる。「非暴力」(非暴力直接活動)が「暴力」への対抗手段として効果的であることは、インドのマハトマ・ガンディーやアメリカのマーティン・ルーサー・キング(キング牧師)の実践によって証明されている。しかし、第二の理由に挙げたように、その運動が、もしも、閉ざされたひとつの地域やひとつの国家内だけで単独で起こった場合、どのような結果が待っているだろうか。言うまでも無く、そこには活動の中挫と活動分子の殲滅の危機すら発生するはずである。事実、ガンディーやキングは、活動が孤立することを慎重に避けて行動しているのである。彼等は、敵対する側との双方の動きや主張を、マスメディアを使って第三者の目に曝すという方法を取っている。つまり、「非暴力」の活動が功を奏する鍵は、「情報の公開」による「第三者の目」の介入であり、これは、現在でも非暴力の活動を行う場合に必要不可欠な方法と言える。戦国時代当時の一向宗や法華宗には、仕方が無いこととは言え、そうした情報公開(第三者介入)の機会が欠落していたのである。但し、情報公開とは言っても、一般のマスメディアのみを頼りにしてはならない。「モホークヴァレーの公式」と呼ばれるメディア・コントロール(情報操作)の危険が多く孕まれているから。アメリカの企業進出と権益の独占を、自国の自立を阻害するものとして拒否した中南米の指導者たちが、いずれも「平和を破壊する暴漢、テロリスト」として報道され、世論を牛耳ったように。そして、アメリカの軍事力によって駆逐されたように。したがって、情報公開には、政治的スタンスを異にする複数のメディアによる報道を心掛けるべきであるし、また、自らネットワークを構築し、メディア化する必要もあるだろう。

ところで、法華宗の自治組織が京都という一地域で発生した点と比較して、一向宗の独立国家体制は近畿地方から越後地方までの広範囲に亙っており、その広範囲性がより強固な抵抗力を示した点は注目しておくべきである。そこに機能していたのは各地域間の組織的連携(同朋意識に基づくネットワーク)であり、そのことが一揆の鎮圧までに相当の時間を(権力者の側に)費やさせた。ここに「他地域との連携」というもうひとつの鍵が見出される。もし、その時、例えば九州や四国などの他の地域で同じ運動が起こっていたとしたら、おそらく状況は一変していたであろう。織田・豊臣軍は南北から挟撃されるかたちになってしまったからである。ともあれ、このことは、非暴力直接活動を行うに際して、その対象が国家や国家群である場合、それは「国内各地との連携」と「諸国間との国際的な連携」として現れる必要があることを示唆している。

ところで、ガンディーの非暴力活動は、イギリスによる植民地主義からの解放という目標があった。そして周知のように、彼の命がけの行動は、彼の死後、遂にインド独立という目標を達成したのである。しかし、それは、ガンディーが生きていたあの時代、植民地状態にあったあの場所では、その状態からの解放または独立に至るまでがゴールとして希求されていたのであって、その先は視野外であった。つまり、ガンディーとその時代には、国家権力(主権)の獲得(インド独立)という、今にして言えば限定的な目標がゴールだったのであり、その先の目標は見据えられていなかったのである。一方、暴力装置としての近代国民国家という現代の視点に立つ場合、インドの独立が意味するのは、イギリスと同じような暴力装置を世界にひとつ増やしただけという視野が開ける。アジア・アフリカ諸国の相次ぐ独立は、植民地体制からの解放という勝利ではなく、近代国民国家を成立させたという意味で、世界の西洋化を招いた敗北であるのかもしれない。彼等は独立することによって支配されたのだから。独立することが「勝ち取ったもの」として礼賛されていた時代は過ぎてしまった。現代は、近代国家の中に孕まれている暴力の問題やグローバリゼーションという世界大の弱肉強食化をもたらしている構造的な暴力、そのような暴力を問うべき時を迎えている。

ガンディーと同様に、アメリカ社会で黒人の公民権を勝ち取ることがゴールであったキング牧師の非暴力運動も、アメリカという白人を主体とする国家にそれが承認されることで政治的に与件化されてしまい、結果的に成った白人主体の統合主義の為に、反対に黒人社会から批判を受け、活動は終息を迎えた。

これらのことは、「非暴力活動」が時代的にも地域的にも普遍化していなければならないことを示唆している。つまり、活動が一時的で地域限定的であってはならないということである。したがって、それは、「世界平和」という人類究極の目標に設定されなければならないことを意味している。

「非暴力活動」と言うと、馬鹿にしてせせら笑う人が多いが、それは、ガンディーに纏わる「無抵抗主義」という言葉が「波風を立てないような生き方」を連想させる為であろう。しかし、非暴力活動の真意義は実際には「煙の無いところに煙を立てる」ことにある。この非暴力活動の意義ついて、キング牧師は次のような重要なコメントを残している。

『非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。争点を劇的に盛り上げるのが非暴力的抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、私は、この「緊張」ということばを怖れるものではないのです。私は、これまで暴力的緊張には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています。』

また、ガンディーはイギリスの植民政策に反発して有名な「塩の行進」を決行した。当時のインドでは塩はイギリスの専売特許とされ、インド人の支払う一月分の塩税は彼らの3日分の収入に相当した。こうした不条理を不服としたガンディーは、弟子達を率いて380kmの「塩の行進」を決行し、海岸に到着した後、自らの手で塩を作った。これが呼び水となり、この不服従行動はインド全域に拡がり、イギリスの塩税は有名無実となった。

非暴力直接活動とは、このように暴力を控えることによってラディカルに争点をあぶり出し、相手の不条理を白日の下に曝し出し、抑圧からの解放を目指す活動を言うのである。「無抵抗主義」とは、事実には、「暴力を控える」という手段であり、主義なのである。この「非暴力直接活動」の意義・内容は、次のように要約される。

①誰からも強いられたものではない。(自発的である)
②活動の結果を、自らの責任に於いて引き受けている。
③間接手段という限りで政治(権力)を拒絶し、政治(権力)の正当性に疑問を付す。
④権力構造の中の不条理を暴き出す。
⑤民衆の民衆による民衆の為の民主自立的な生活スタイルを志向している。

つまり、これは「自治」であり、一定の民衆による自立圏の確立を志向しているものと言える。そして、それを成就させる為には、その自治活動が、

⑥「国内各地との連携」と「諸国間との国際的な連携」として現れる必要がある。
⑦一時的で地域限定的であってはならない。
⑧「世界平和」という人類究極の目標に設定されなければならない。

ことを確認したのである。

ところで、前二者とはラディカルさに於いてタイプが異なるが、第二次大戦後、現在の中国(共産党)に不法占領(侵略)され、インドへの亡命を余儀なくされたチベットのダライ・ラマ14世法王は、中国への抵抗を非暴力で行うことを宣言している仏教者である。本来ならば歴史的に独立国であったことが自明であるチベットなのだが、彼はチベットが中国の一部であることを承認し、チベット人によるチベット人自治区の民主的自治を目指している。それにはチベットに架せられた不条理についての国際社会の無関心という背景がある。そして、その要因は、第二次大戦の戦勝国を中心とする今の国連にある。国連が、一向に「チベット問題」解決に動かないのは、その常任理事国に中国が加盟しているからである。日本は今、国連の常任理事国入りを熱心に希求しているが、本来ならば、そのような不条理で不平等な制度を、ラディカルに批判する立場にあるのではないだろうか?
今日、国連や国際法の正当性を、あたかも自明の正義であるかのように前提とすることは出来ない。そこに近代国家の欺瞞があることを暴き立てない限り、チベットの平和も世界の平和も決して訪れない。問われるべきは、誰が、誰の為に、それらのルールを決めたのか?である。

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