世界維新へ

さて、先に世界三大宗教と言いましたが、実際のところ世界人口の大半はユダヤ・キリスト教諸勢力とイスラーム教諸勢力に二分され、双方が良くも悪くもヘゲモニーを握って今の世界情勢を作っていると言っても過言ではありません。先のアフガン戦争やイラク戦争の発生原因の根底に、(お互いが神の名の下の正義を振りかざして戦った)イスラーム原理主義とキリスト原理主義との対立という宗教対立の構図があることを否定できる人は少ないと思います。また、無差別テロを続発させるイスラーム原理主義者たちは、スンニー派とシーア派とのイスラーム教内部での対立・抗争を含め、エスカレートする一方です。また一方、イスラエルとパレスチナではいまだに剥き出しの争いが繰り広げられ一向に止む気配がありません。それは、一神教という絶対の創造主(唯一神としてのゴッドまたはアラーフ)を立て、それ以外の神仏を否定する彼等の教義と無関係ではないでしょう。ただし、誤解を解くために述べておきますが、イスラーム教徒やユダヤ・キリスト教徒のすべての人々が間違っていると言うのではありません。彼等の中には人格的にも倫理的にも卓越した方々がおられることは言うまでもないことです。それは、その教義についても同様です。それぞれの教えには傾聴すべきものがあることも事実です。しかし、ここで問題なのは、これらの二大勢力が今の世界情勢の趨勢を根底に於いて握っているということです。つまり、この二大勢力に拠るならば、今のような暴力の応酬を繰り返す世界が作られることに結果するということが重要なのです。

ここに、残された一極としての「仏教」の可能性が提示されます。それは、仏教が非暴力に基づく問題解決法を持ち、「四方僧伽」という超国家共同体への道を温存しているからです。そして、その可能性は、先の二大勢力の排除ではなく、それらへの積極的な介入による情勢の全的変容という可能性です。ユダヤ・キリスト教とイスラーム教はともに絶対創造神を立てる唯一神教ですが、仏教は一切の現象を「無(限)から無(限)への過程」と見る「法」(法宝)と「法にしたがった人間の現実的救済方法を説く仏陀」(仏宝)を基礎としています。これは、現実的であるだけでなく合理的であると同時に科学的な態度と言えるでしょう。そして、この仏法を学び実践する人たちを「僧伽」(僧宝)と呼び、これらを総じて「三宝」と言っています。また、仏教は、基本的に他の宗教の存在を否定しません。仏教に於いては、仏教それ自身を「内道」と呼び、それ以外の宗教を「外道」と呼んで区別していますが、「外道」は「内道」へ至る(連関する)宗教であるとして認めています。つまり、すべての宗教は仏教の一分なのです。仏教は、善か悪かの二元論の見方から悪を切り捨てるというやり方ではなく、世の中には善も悪もあることを認め、さらにその両方は不可分に連関しているものであるという「善悪不二」の一元論へと集約し、それによって悪の救済を完成させています。例えば、凶悪な殺人者は社会にとって悪ですが、妻子を愛する姿に限っては善なのです。仏教ではそうした善悪のレヴェルを十の段階(十界=六道+四聖)に分け、それらの各界の中にまた十界が具わって連動しているとし、これによって地獄界さえも救済の道があることを説いています。先の例で言えば、殺人する旦那は地獄の世界を現していますが、妻子を愛するところに限っては仏や菩薩という聖なる世界を現していて、それを同時に備えているというものです。何であるにせよ何者かを切り捨てることは、その教え自らに限界があることを示すものです。仏教にはそれが無いという点で完全なのです。いわゆる「曼荼羅」とは、そのように善・悪・自・他の一切が包まれた法界を示し、その全体が成仏している理想の姿を現したものであり目標ですが、仏教が他の宗教に積極的に介入し、その情勢の変容を促し得る理由はそこにあると言えるでしょう。

しかしながら、仏教は、地理的にはアジア地域を主な勢力範囲としながらも、世界史の中では(全般的に)侵略される側の宗教として常に劣勢な状態を推移してきました。世界宗教としての仏教が、その役割を世界史の規模で担うことができなかったのはそのためです。その原因は、ひとつには非暴力という姿勢が(他者からの)暴力によって物理的に潰えてきたこと、もうひとつには仏教それ自体が、南伝・北伝のふたつの潮流に分かれ思想的対立を引き起こしてきたこと、さらには双方の系統それぞれの内部で多くの宗派が成立し、仏教としての統一的なまとまりを持つことができなかったことが挙げられます。

しかし、それと同時に、仏教はその成立の当初から「四方僧伽」という超国家共同体の性質も持ち合わせていました。「四方」とは東西南北のことで、転じて「あらゆる場所」という意味に解します。「僧伽」とは「和合僧」とも呼ばれ、「共同体」というのがその原意です。つまり「四方僧伽」とは、世界中がひとつの共同体であり、人間は人種や国籍や言語および文化の相違を越えて和合を実現するというものです。その理想の共同体を仏教では「仏国土」と呼んでいますが、これは「世界平和」という現代語に置き換えることができるでしょう。

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