
2013年バングラデシュ視察報告 伊勢
期間 4月3日~5月4日
目的
1、昨年にのコックスバザールラム地区での破壊放火に被害におけるCSの緊急支援のその後の調査及び追加支援
2、現在までBOB を立ち上げた地域での経過調査
3、新規BOB候補予定地の視察及び新規立ち上げ
4、昨年始めたBOBショップの視察訪問
5、ズナマイズ孤児院の視察訪問
6、CSバングラデシュメンバーの調整
4月3日
バンコク到着4日SVゲストハウス泊まり。夜、CSメンバーで、前回バングラディシュに行った「矢野さん」と打ち合わせ。
昨年行なわれたコックスバザール州ラム地区で行なわれたCSの緊急支援について言及。
矢野さん談
ラム地区での被災地緊急支援の際、CSジャパンから送金された支援金を、アシシュ氏及びシャンガピオ僧侶はバルワ側だけで勝手に采配しようとした。
そこで矢野さんは、バングシャ僧侶を伴い、雲隠れしないよう朝早くアポなしで、シャンガピオ僧の寺に押しかけた。
その時矢野さんは、お金を取り戻すため「被災地の村、何処と何処の寺に幾ら使うかをすべて決定した。今晩から実行することになっている」と方便を使ったと話した。
チッタゴン到着してすぐそのことをCSバングラのアウン氏に確認したところ、何度も必ず集まるよう念を押した。にもかかわらず、現地でCSメンバー全員が集合する大事な日にバルワ族のメンバーは誰一人来なく、連絡もなかった。やっと繋がった電話でサンガピオ僧侶が「アシシュの指示で日程が変わったので参加しない」と一方的に変更を告げられた。その理由は、「今はその時期ではい、焦ることない時間はある」と言ったらしい。
それに対し矢野さんを含めジュマ族のメンバーは
「変更したならしたで、なぜ連絡をしてこないのか!こちらは集まって待っている。さらに矢野さんは時間がない」
アウン氏曰く、矢野さんがいなくなれば、金は彼等の自由になる。それから自分たちのやり方で使える。そのため温存を計ったのだろうと言う。
扇動者はやはりアシシュのようだ。
送金の前にアウンからは、
メールで交通費その他の諸経費はすべて自分たちでまかない、CSから送られたドネーションは全額被災地に使うとみんなで決めた。と報告されていた。
にもかかわらず、アシシュを始めバルワ族メンバーは諸経費を要求!硬く断ったと言う。
この送金に関わったのは僕と上川さんで、複雑な送金手続きで僕はいく度もアウン氏とやり取りした。アウンの口座に振り込めば手っ取り早いのを、あえてバルワ族をたてシャンガピオ僧の口座に振り込んだと言うのが実情である。
セカヘイ2013にバングラからバルワ族、ジュマ族それぞれからプレゼンターとして招待する事になっている。一人はジュマ側からBOBトップの成果を上げているビブロップ、もう一人を、便宜上CSバングラ代表でバルワ族のシャンガピオ僧侶を予定していた。が、今回の事件で招集には向かないと判断するしかない。
従って上川さんの提案もあって昨年挨拶に訪れたチッタゴン大学、学部長のギャナトラ僧侶に声をかけることを検討中。彼はバルワ族で日本語も上手で日本にもよくきているらしく、今回の騒動をつたえてもらいプレゼンターとして、さらにCSのBOBに関わてもらおうということになった。
が、しかし、、!
矢野さんを通し聞いたバングシャ僧の話では、ギャナトラ僧はトップクラスの僧侶として学識と権威を利用し外国の多くのドナーからドネーションを引っ張り肥え太った僧侶だという。多くの支援金は現地には届かず彼の懐に入ったとか、、。
あくまでも間接的な話ので、アウンの意見を聞くようにとの矢野さんからのアドバイスを受け、後日アウン氏に確認。結果は同じ意見が帰って来た。
レポートに入る前に、矢野さんのアドバイスもあり、伊勢なりに決めた今回の取り組みに当たっての心構えについて記します。
ベンガル人バルワ族のメンバー、特にアシシュそしてシャンガピオ僧に関し、僕は徹して私情がはいらぬよう何もなかったように接する。
両者の修復を取り持つことは逆に憎悪を深めるだけと感じるため、必要とする事項以外に関してあくまでも最低限の接触にとどめる。
現段階では、それがお互い関係を悪化させない最良の策と感じます。
以上
4/4
ダッカ着、空港職員に状況を聞くと市内は相変わらずの最近頻繁に起こる反政府勢力によるストライキ、やはり陸路移動は無理と判断。国内線でチッタゴンへ、夜11時アジアンホテルにチェクイン。電話で無事アウン氏と連絡が取れた。
4/5
アウン氏と合流、こちらのアジェンダを伝え、全てアレンジしてくれることになった。大まかなスケジュールを決める。
ちなみにチッタゴン丘陵地帯へは事前にパミッションの手配をしてあるので、決めた日程どうりにしか動けない。したがって必然的にジュマ地域の日程が優先される。
アシシュ氏にも連絡を取り、夜ホテルに来てもらいスケジュールを伝えた。一緒に昨年からBOBを始めたウノポン氏も同行した。
これまで日本側との連絡がうまく取れなかった理由として、本人曰く「コンピューターのプロブラムの調子が悪かった」だそうだ、、。
バルワ族地域でのBOBサイト訪問に関し、バングラの習慣で金曜日が人が集まりやすいということで、彼らのリクエストに応じ、僕の滞在中での最終金曜である4月26日に、バルワ族のBOBサイト3カ所を一気に回ることになった。
が後に、これだけの距離のある地域(BOBサイト3カ所)を一気に一日で回るのことは不可能ではないが、何もする時間がない。アウン氏に指摘される、、。
この日は、アシシュ氏及びウノポン氏と終始なごやかに世間話をして、お互い何もなかったかのように、ラム地区の出来事や、支援金などにはいっさいふれなかった。
4/6
朝コックバザールに移動約4時間。夕方ホテルでアウン氏と合流
4/7
翌日朝モーターリキシャ(エンジン付き3輪者)でラム地区に向う、が、ホラダン(ストライキ)のせいで道が封鎖され途中いく度も歩かなければいけなかった。
大勢の人が歩いており、皆ピリピリしている。通りすがる人の視線が熱い!アウンも終始緊張ぎみで無口帽子を深くかぶって気づかれないようにしてる。なぜなら彼はジュマ族で仏教徒なので目立つ。口々に何か彼に向かって不満を言っているようだ。
僕は外国人なのでやたら目立つ。アウン曰く伊勢のことはみんなでジャーナリストと思っている、そう思われることで逆に安全だと言う。海外メディアの不満を言ってたやつもいると言う、、。
1、あちこちで道が封鎖、ストで乗り物が無く歩く人々
明日からまた2日間のホラダン(ストライキ)で身動きが取れなくなる。なのでこの日一日で、CSの緊急支援を行った全寺院を一気に回ることにしたのである。
ラム地区に入りオートリキシャをチャーター、ドライバーは前回矢野さんが訪れた時と同じ人で、状況を把握してくれていた。
2、チッタゴン丘陵地帯
最初に訪れた崩壊した寺Ramu Maitri Bihar寺院がある。ここは、CSからの支援はしていない
3, Ramu Maitri Bihar寺院の倒壊時と復興のプロセスを記した看板
4,損傷を受けた仏像
5、新築中のRamu Maitri Bihar寺院
以下、各寺院の状況をわかりやすいよう昨年の矢野さんのレポートを交互に引用しながら書きました。
ウー・セイン・チェイン・ラカイン寺
2012 by矢野
総計8万タカ
町のなかで最も住民に親しみがあると思われ、破壊は受けたが焼失は免れた寺。名前の通り、ビルマ系仏教徒ラカイン(アラカン)信者を集める寺。住職もまだ壮健で、仏教徒と子供の頃から暮らしてきたイスラム住民なども訪れるところ。英語の堪能な信者などもいる。2日間にわたりBOBの説明をし、住民の前で住職に手渡した。この寺の檀家を中心にもしかしたらBOBが2ヶ所に誕生するかもという期待をこめて、4万タカ×2で8万。
2013 by 伊勢
矢野さんが、お金を渡した筆頭で老人の住職は現在病気でビルマに入院中。他二人の僧侶がいるが、食事で何処かに呼ばれているということで会えず。
支援したウー・セイン・チェイン・ラカイン寺は比較的被害はないが、一部には暴徒の行為が残っている。
地域の代表のUtunseinさんとお会いした。彼を中心に驚いたことにBOBがすでに始まっていた。老齢の住職も関わり4人にそれぞれ一万タカを6か月返済、利息は2% 倒壊したお店や薬屋のオーナーらが借りた。
Utunsein ウツンセインさんは、いずれは子供達の教育費などに当てたいと語った。
残り4万タカは、墓地の壁の建設費の一部になった。
寺から歩いて5分くらいの所に回りをイスラム教徒の畑に囲まれていて、壁を作らないと勝手に侵入され土地を奪われてしまうからだという。壁は鉄筋コンクリートに煉瓦を積んだもので、土台だけが完成。一部だけ壁が出来ていた。
6、ウー・セイン・チェイン・ラカイン寺と地域の代表ウツンセインさん(右)
7、建設中の墓地と塀
8、建設中の墓地と塀とリーダーのウツンセインさん
僕の感想ではとても聡明なリーダーでBOBを理解してくれてるようで良い感触が得られた。
昨年の矢野さんとアウンの熱心な努力が実っていて最初に訪れたラム地区の寺ということもあり嬉しかった。
シマビハール寺
2012 by 矢野
ドネーション5万タカ
町のなかでもっとも大きく、権威ある寺。バルワ系(ベンガル人系仏教徒)の信仰の中心であり、私が滞在中にこの寺で大臣などのスピーチも行われた。この町の仏教徒及び被害を受けた住民の多数がバルワ系であるため、この寺をはずすことはできなかった。本堂焼失。実際に支援金を手渡すときには老齢の住職は不在で、秘書に手渡すことになったが、すべての支援金を渡してくれれば機能的に全寺に配るという提案が寺から出された。CSバング ラデシュはもちろんこれを拒否。バルワ系の寺が支援を通じて各寺の頂点に立つという構図に加担することになるからだ。
2013 by 伊勢
3人の僧侶と12人の小僧がいる 新しい寺が7割方は出来ていた。
担当のシオプリオ僧及び秘書のtorunバルワさんと面会。秘書曰く5万タカは、瓦礫の方づけや寺や壁の修復などお寺で使った。詳細を記した資料の要求に対し、調べて今晩電話すると返答。
BOBに関してはあまり乗る気じゃ無く、というか全く興味がなさそう。そんなはした金で何ができる!どうやって受益者を選ぶんだ?そんな討論が続き必死に説明するアウンも落胆の顔を隠せない。あげくの果には、必要なら5万タカ、耳そろえて返すとまで言ってきた。
アウンも諦め、GO! ノーソルーション。次の日になっても連絡は来なかった、、。
9、シマビハール寺崩壊から復興へのプロセス
10、新しく建設中のシマビハール寺院
11燃やされた教典
12破壊された仏像
大きな権威のある寺だけに多くの支援団体や国中の信者から多額の支援金が集まった。沢山の軍人が駐屯し警備しながら寺の修復をしている。
今回の事件で、海外からの非難と強い圧力でバングラデシュ政府は全面的に寺の修復を決めた。さらに被災者一家族と家屋の修復に一億二千万の予算をつけ、一件に付き30万タカ(約35万円)の支援を行った。日本円に換算すると低いようだが、平均月収5千円以下の国という事を考慮すると、破格の決定と思える。
CSの寄付など雀の涙みたいものなのだろう、、。
最初に訪れたアラカンの寺とはまるで印象が違う。ここでもバルワ(ベンガル仏教徒)とジュマ(エスニック)の気質の違いかと疑ってしまう。
13、当時支援金を受け取ったシオプリオ僧侶及び担当秘書のtorunトルムバルワさん(左)
14政府の支援で新築された信者の家屋
15、政府の支援で新築された信者の家屋2
ウキヤゴナ寺
2012by 矢野
ウキヤゴナ寺 2万5千タカ
町の中心から田舎へガタガタ路を1時間あまり走ったところ。本堂を含めすべて破壊、焼失。周りの仏教徒住民たちも100余りの住居のうち66住居が破壊・放火された。寺に住職はおらず、村長に支援を手渡した。この地域は水の便が悪く、米が獲れるのは1年に1回、天水に頼る農業。地下水もないという貧村。@65家族 被害は寺と2件のお店
2013by 伊勢
焼失した寺の横に新しく寺が7割方は出来ていた。焼失のため消化に使えないよう井戸も壊され今後の問題となっている。
代表のシュレッシュバルワ及びチャクマ系の住職と面会
2万5千タカは寺の貴重品や備品を入れるセフティーボックスを購入及び仏像修復用の塗料に使った。
16、焼失した寺の横に新しく建設中のウキヤゴナ寺
17、焼かれた仏像
18、焼かれた仏像2
19タイヤを使い火を放った跡
20、CSからの支援金で購入した貴重品や備品を入れるセフティーボックス
21、CSからの支援金で購入した僧侶のベッド
22、代表のシュレッシュバルワさん(右から2人)及びチャクマ系の住職(左)
残りのお金はBOBに、各地から集まったドネーションと合わせ総額19万タカをBOB資金とし、すでに40人の住民に貸し出していた。利息(寄付)に関してはいまのところ受益者の自由で特に基準は設けたいないそうだ。
ここでも矢野さんとCSメンバー(ジュマ)による努力が実り始めていた。が、詳細を記した名簿や記録に関し尋ねたところ、調べて連絡するとのこと。
次の日挨拶程度の連絡が来る。報告書が出来上がった時点で 、そちらに伺いますと伝えた。
ザディバラ寺
2012by矢野さん
支援金 2万5千タカ
上記の寺から近いところにある。本堂焼失。住職はいないか、少なくとも私は2回の訪問中一度も僧侶に会っていない。上記と同じく、村長たち住民に焼け跡に来てもらい、手渡した。
2013by伊勢
矢野さんの訪問時と同じく住職には会えなかった。ここはアシシュの親戚も住んでいる土地。
前回矢野さんが訪れた時、お金を受け取った代表と、当時不在だった村のオーナーに会う事が出来た。ブオンバルワBuon Baruaさん。ダッカにも住まいがあり行き来している。FIFA認定のサッカー協会の役員をやっている。
村は85家族、CSからの支援金は二人の名前で新たに作った口座に入れ、そこから24家族に支給されたそうだ。
が、その対象はイスラム教徒の暴徒に家屋を壊された被害者に使われたのではなく、その他の貧しい人々渡されたという。
残念ながら緊急支援にはなっていない。
詳細を記した資料は秘書が持っているのでわからないので、その日のよる連絡をもらうもらうことになった。
23、ザディバラ寺入り口
24、焼失した寺の横に新しく建設中のザディバラ寺
25、ザディバラ寺の崩壊から復興へのプロセス
26、建設中のザディバラ寺の内側
27、破壊された仏像
28、破壊された仏像
29、村のオーナーBuon Baruaさん
このあと村のオーナーBuon Baruaさんが、しつこく家に立ち寄れと言うの寄ってみると、驚いたことに先ほど訪れたジマビハール寺院の秘書官がいた。
5万タカ返してもいいと言った、ああのふてぶてしい秘書は、ここザディバラ寺の秘書も兼ねて、村のオーナーBuon barua さんの兄だったのである。
そういうわけで詳細を記した資料はどちらの寺も、彼が作成してることになり期待は難しい。
ドネーションをありがとう。ウェルカムです。いつでも来て下さい。でも口出しはしないで下さい。マネージメントは我々でしますから、、という印象を受けた。
案の定その後も報告はない、、。
ディポンコフ寺
2012by矢野 2万タカ
ウキヤ地方という、2時間ほどかけて行かなければならないところの寺。騒動の2日目に襲われた地方で、本堂焼失。全員夜道をへとへとになりながらたどり着き、住民たちの前で住職に支援金を手渡した。
2013by伊勢
焼失した寺のすぐ横に、新築の寺が7割方出来ていた。
30、ディポンコフ寺の崩壊から復興へのプロセス
31、破壊された仏像
住職と村の代表はCSから支給された2万タカをどう使ったらいいかわからず、全額を銀行の口座にいれたままだと言い、次にCSの人間が来た時に、相談するか返すつもりでいたと。住職はお金がちゃんと返済されないのではと考えると、心配で出来ないという。それに対し我々は、他の寺でも出来ているので失敗を恐れず進めて欲しいとお願いした。返金がきちっと行われない場合どう対処していいのかを恐れてるようだった。
政府からの援助は、寺の修復だけなので備品などこれから必要になってくる。そちらに使うこともできるので返金する必要はないです、と伝えた。こちらからの提案で、もう一度村人を集めBOBの説明会を行い再度検討することになった。今週の12日金曜日と決定した。そして12日連絡が入り5人それぞれに4000タカ、計2万タカの貸し出しがおこなわれた。会費は月10タカ失敗してもいいとは言わないが、それは結果なので心配要らないと激励。
32、住職と村の代表(右)
33、村の役員と
CSが緊急支援を行った5箇所の寺のうちBOBが始まったのは、僧侶及び信者がアラカン系少数民族の寺院ウー・セイン・チェイン・ラカイン寺と、同じく少数民族ジュマの僧侶のウキヤゴナ寺と結果的に皆ジュマ系である、、。
同じ日、被害は受けずCSからの支援はしていないが、同じラム地区のある寺院を訪問。Dhechhua palong sheaddhangkur Buddist Temple の住職で、ジュマ系のMamonshi Marma (マモンシマルマ)僧は、25年この寺に奉仕し、村人に尊敬され親しまれてる。
昨年の暴動の時、この村にも過激なイスラム教徒が寺を破壊にやってきた。そのことを事前に察知した住職は方々に連絡を取り招集をかけ暴徒から寺を守った。
今、土地を奪われないための対策として、仏舎利塔を建設中だ。なぜなら昨年の事件以来、軍や警察が、過激なイスラム教徒(ジマイスラミックス)の行動に目を光らせており、今度また建物や施設が破壊された場合、政府から制裁を受ける事になるからだ。なので建築物がある方が圧力となり安全ということらしい。で、寄付を必要としている。そのための寄付及びBOBの開設も検討することにした。
BOBが成功するかいなかは、信頼が厚く誠実で優れた人物がいるかどうかだ。そういう点でこの僧侶はうってつけと感じる。
34、建設中のストゥーパ(仏舎利塔)
35、完成予定の絵
36、Mamonshi Marmaマモンシマルマ住職