『ランガマテとカプタイ湖』
CHT(チッタゴン広陵地帯)ランガマテ州には、日本の琵琶湖よりでかい、巨大な湖、カプタイ湖の存在がある。それは人工のダム湖である。湖畔は6つの区域に分かれており、大小さまざまな村が存在する。1963年、まだ東パキスタンだったころ、水の利権がらみ及び、最大エスニックのチャクマ人を孤立させる目的で、東パキスタン政府の陰謀で作られたのだと地元の人は言う。
ダム湖の水面下には、チャクマ王国の王宮が沈んでいて、数百ものチャクマの村とともに眠っている。ダム建設で失われた土地は、CHT(チッタゴン丘陵地帯)の肥沃で平坦な農地約22、000ヘクタール。18000家族、約10万人が家と土地を失った。
そのときダム建設に伴い大量のベンガル人が入植した。そして土地を失ったジュマの人々6万人が隣国インドやビルマに難民となり流出した。
東パキスタン政府は部族民の存在を許さず彼等をベンガル民族に統合して国家形成をはかろうとしたのである。
これは強制同化政策といわれ、北海道のアイヌ民族に対しての皇民化政策にあたる。
『湖畔の美しい村ディグリバ村』
ランガマテ州に移動した僕たちは翌日の朝早く巨大なダム、カプタイ湖に浮かぶ小島、バンダゴップ、ディグリバ村に向かった。
ランガマテ市内の船着き場から、定員20人ほどのエンジン付小型ボートに乗りこみ目的地へ向かった。そこはボート以外には交通手段のない孤立した土地だ。
(29)船着き場にて
(30)ボートで学校に通うチャクマ族の学生
ボートのルーフにみんなで寝転がる。くそ熱いここバングラディシュだが、この時ばかりは、気持ちのよい風が全身をなぜるように通りすぎて行く。
一時間ほどで美しい小島にある村バンダゴップ、ディグリバに着いた。湖畔から丘を登ると、マンゴやジャクフルーツの木がいたるところに生えており、遊歩道がきれいに正装されていてた。
歩いていると、うっそうとした緑の茂った丘に囲まれた美しい沼がいくつも見える。
何度来てもここに来るとはほっとする。
自分の意志でBOBを始める事を決めた特別な場所だから…。
(31)美しい沼地に囲まれたバンダゴップ
ディグリバ村はピブロップが担当するBOBが最も理想的な形で成功しているコミニティだ。モチベーションも高く日本側が考えていたプログラムをそのまま実現している。
成功の要因は地元のNGO ASHIKAとジェネラルマネージャーであるビブロップとの信頼関係、その一言につきるだろう。ASHIKAはNUDPやICIMOD、アジアンファンデーションなどのドナーを持つ信頼と実績のあるNGOだ。
そういったなかブッダバンク構想に感銘した彼は、CSのメンバーとなり彼個人の社会奉仕としてBOBの活動に参加している。そのうえでASHIKAのファシリティやノウハウを利用させてもらいBOBを展開していて、スタッフも善意で協力していくれている感がある。
なぜなら彼、彼女らもジュマ(エスニック)の人たちだからである。
(32)ランガマテのNGO、ASHIKAのスタッフと
出席、上川、伊勢、アウン、ピブロップ、ASHIKAスタッフ2名、コミュニティメンバー約40名
状況・日本からの原資90000タカ ー 受益者 63名(89回) ー 現在の原資 120000タカ
メンバーは毎月10タカずつCS基金としてプールしている。ブッセは年率10%
三年間で30000タカ増やすことに成功している。内容によって融資額を変動。少なくて1000タカ、多くても4000タカ。84家族のうち21世帯がまだ融資を得られていない。
上川氏の記録より
(33)上川氏とカリバラ(リーダー )
(34)編み機を買った受益者
(35)受益者のパイナップルガーデン
今後の方針として原資を別の貧しい村に移動させることを検討していることを住人に伝えた。「皆さんの協力でよい成果がで出たことを感謝します。知ってのとうりたくさんの村がブッダバンクを必要としてます。そこで原資を他の村に移したいと思います。しかしシステムはそのまま残るので布施や会費で増えた資金を元に今後も継続してもらえたらと思います。」と伝えた。
当然村人達は落胆し悲壮感をあらわにするであろうと想像していた。
ところがなんと純朴な人たちだろう!村人達は少しの間話し合った後、「我々も賛成だ」と目を輝かし主張する。
全84世帯のうち、まだ融資をうけてない21世帯が融資を受け全家族が一度融資を受けたのち原資を他の村に自分たちの手で移すと約束してくれた。あと2年の予定である。
これが実現するとこれまた最も理想的な形だ。本来ブッダバンクの目的は金銭的な事よりも、人と人、地域と地域を繋げ信頼関係を築く事。そこから生まれる相互扶助にある。
外から与えられた指示では無く自分たちで理解し自主的に広げ伝えて行くことが重要なのである。地域や民衆が強く豊かになるにはそれ以外にない。
ディグリバ村のブッダバンク実行委員は地元の有志などの男性でしめられていた。そこで僕達は女性も入れて年に1回ごとに人選をし直すこと、さらに方法はくじ引きで決めてはどうかと思い切って提案した。
そう言ったとたん、ほぼ満場一致で決定した!
(36)ディグリバ村の受益者と記念撮影