バングラ視察2013 Vol.2

4/8

この日はホラダル(ストライキ)のせいで全く動けず。仕事のあるアウンは夕方バンダルバンに戻った。が、あちこちで反政府活動家による道路封鎖で3時間の道のりが6時間経っても30キロ手前で立ち往生してるらしい。今夜または早朝、デモと封鎖の状況次第でアラカンの暮らすバボ村に向かう。

そのため外国人の伊勢一人ではリスキーと判断したアウンは、入れ替わりにアラカン族のス・ランさんをバボ村からのコックスバザールに迎えの手配をしていてくれた。が、やはりあちこちの封鎖のため僕の泊まってるホテルについたのは深夜だった。

どちらにも僕のためにずいぶん骨を折らしてしまった。申し訳ない、、。

翌日の連絡では、結局アウンが家に到着したのは12時半、7時間かかったそうだ。コックスバザール県、特にラム地区は昨年の破壊行為以来最も不安定な地域ということで、アウンの奥さんにもずいぶん心配をかけてしまった。

後日聞いた話しによると驚いたことにその心配は的中した!移動中アウンのほか8人ほど乗車していたの車が数人の暴徒に襲われ、窓ガラスが全て破壊され、けが人も数人でた!乗っていたアウンは、いち早く車を脱出して被害はまぬがれたが、その後、かなりの距離を歩いた。

4/9

この日から3日間、アラカン地区の訪問に関し、ビルマから亡命したアラカン族のス・ランと行動を共にした。ス・ランはラム地区での活動予定の全ての手配をしてくれた。

誠実で献身的な素晴らしい人物という印象をうけた。元NUPA(ユナイテッドパーティー•オブ•アラカン)のメンバーであり、以前HREID(ヒューウマンライツ•エデケーション•インステチュート)のメンバーとして3年間タイに赴任して子供労働者の調査などをしていて高いノウハウと経験を持っている。

矢野さんが始めてバングラデシュを訪問した時に、バングシャ僧に紹介され、バングラデシュ内で暮らすアラカンの人達にBOB広める中心となった人物でである。

僕は昨年バングシャ僧と共にCSのバングラデシュのミーティングをきっかけに始めて出会った。

 余談であるがそのミーティングの席で、バルアのサンガピオピオ僧はバングシャ僧に向かって「ビルマから来た奴らは悪いやつばかりだから信じてはいかん」と言いバングシャ僧は、その横に座っていたスランの顔を見て目で合図したとか、、。

 シャンガピオ僧は、ス・ランがビルマからきた人間とは知らず軽率な発言をしてしまったということだ。

コックスバザールにあるアラカンの王様が建てた400年もたつ由緒ある寺を訪れた。この寺にも暴徒が破壊にやってきたが地元のイスラム教徒たちが立ちはだかり寺を守ったそうだ。ここは古くから時間をかけて築き上げた仏教徒とイスラム教徒との深い信頼関係があるという。寺院内は、あちこちに厳重に鍵が掛けられており事件依頼、防衛の手段が強化されていた。

 1、400年の歴史を持つアラカンの王様が建てた寺院

038,400年の歴史を持つアラカンの王様が建てた寺院

ホラタル(ストライキ)のせいでラマタナにあるズィナマイズ孤児院に向かったのは5:00だった。ストライキを警戒してかあるはずの直行バスがなく、道途中から車に乗り換え、孤児院に着いたのは夜7時だった。院長のナンダマラ僧侶と、生徒全員が外に並んで迎えてくれ感動した。

2、出迎え

039出向かい

施設は二つの寺院と小学生世代と中学生世代とにわかれた複合施設になっておりCSのバングシャ僧侶が理事長をしている。

 孤児院はバンダルバン州の州都バンダルバンのほとんど北端にある。このズィナマイズ孤児院がある地ラマ(LAMA)は中央部の西に位置し、州の西端に近い。ここからス・ランの暮らすアラカン初のBOB開設地バボ村までは車で1時間とかからない。

訪れたのは中学高校の施設で小さな狭い教室があり二人の教師がいる。生徒は女性だけで、マルマ、チャクマなどマイノリティーの少女たち。純真で素直な少女達ばかりだ。寝泊まりする寮は教室のすぐ横に10畳ほどの部屋が3つ、7人づつでシェアしていた。驚いたのは何の仕切りもなく、コンクリートの床にビニールシートをひいただけの床に寝ていた。

そこで後日CSチャリティーカレンダー募金より二段ベットの支給を検討することにした。

3、通路を利用した狭い教室
040通路を利用した狭い教室

4コンクリートにビニールシートを引いただけの寝室
041コンクリートにビニールシートを引いただけの寝室

5、停電の多い土地事情
042停電の多い土地事情

6、生徒達のてづくりの夕食

043生徒達のてづくりの夕食

その他の抱えている大きな問題は電気である。夜になると多い日で3〜4時間停電になり勉強にならない。

ソーラシステムを利用する方法が現在いちばん現実的で、ソーラー会社のマイクロクレジットで3年契約でメンテナンスもあり、月々わずか650タカの支払いですむそうだ。そのためには器材28000タカと4000たかの保証金が必要だという。

 院長はCSが昨年から、マルマ族の地域で始めたBOBショップに強い興味を示し、日用品や食材のほか文具や書籍などの教材を含めたBOBショップを始めることを願っている。担当には教壇を取っているズィナマイズ孤児院出身の教師がするという。

 こちらとしても今回CSとして再度訪れたからには、何か役に立ちたいと提案。しかし予算が限られている。そこでBOBショップか、または生徒達のベットか、今現在必要とする方を提供します。と伝えると、すかさずベットをという返答があり、僕はわかりました、BOBショップは可能なら来年始めましょうと伝えた。

 4/10

コックスバザール州のラマの街に移動。ここラマ地区は、もとよりコックスバザール地区と同様にアラカン大国の一部であった。ビルマのアラカン州と繋がっており、以前はアラカン人だけが暮らしていた。バングラデシュとしてパキスタンから独立する時イギリス政府による決定で、Nef ナフ河を国境に、現在のビルマとバングラデシュに分けられアラカンは分断された。

 今は人口のほとんどがベンガル人で皮肉なことにここに暮らすアラカン人はビルマ難民なのである。

 4/11

朝スランさんの友人(88ジェネレーションネットワーク)のメンバーでNGOローカルユニティ・プログラッシブ・インステチュートが運営するマハムニシャダン孤児院に行く。

 この二つは同じグループで片方が政治的活動をし、ビルマのアラカン州から亡命した活動家により構成されている。

 ビルマが民主化になった今、ビルマ政府とアラカン州では、バングラデシュ政府との取り決めで、チッタゴン丘陵地帯で暮らす、すべてのアラカン族とジュマの仏教徒にビルマ側への入植帰還の門を開き率先して市民権を与えている。

 この組織はこれらの諸問題で今後ビルマ政府と様々な活動で、交渉をかさねることになると、スランは語った。

 現在まで500以上の家族が移住している。それ以外にもバングラデシュ国内のジュマやアラカン族のNGOや知識人あらゆる活動にも認可を与える政策をとっていて、今こそ亡命アラカン人及びジュマやビルマ族がまとまるチャンスなのだと言う。

従ってビルマ国内でのBOBをスタートさせれる可能性も今なら非常に高い。

 そこで数日後アウンを交え話し合い、来年は是非ビルマのアラカン州でBOBを始める取り決めをした。

 7、マハムニシャダン孤児院内の教室

044マハムニシャダン孤児院内の教室

8、マハムニシャダン孤児院内の教室2
045マハムニシャダン孤児院内の教室2

9、マハムニシャダン孤児院の子ども達と

046マハムニシャダン孤児院の子ども達と

10、スランの友人、ローカルユニティ・プログラッシブ・インステチュートのリーダーと娘

047スランの友人、ローカルユニティ・プログラッシブ・インステチュートのリーダーと娘

11、NGOローカルユニティ・プログラッシブ・インステチュートのスタッフとスラン(右)

048 NGOローカルユニティ・プログラッシブ・インステチュートのスタッフとスラン(右)

 きな臭い話だが、過激派ジマイスラムは、バングラデシュ政府と真っ向から対立し、ビルマのアラカン州に暮らすロヒンギャ族をけしかけ、バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯に暮らすジュマの人々を殺し土地を奪えと煽動しているという。

それに対しバングラデシュ政府は、ロヒンギャの亡命を拒否し、入国しようとするロヒンギャ族の難民を、強制送還もしくは逮捕している。しかし世界の世論は人権無視と非難。

聞いた話によるとロヒンギャはチベットの焼身自殺やシリアの内戦の写真まで引用し、アラカンの仏教徒がやったとでっちあげているという。

アラカンにいるロヒンギャは、仏教徒と嘘をつきビルマ人と結婚して内陸に進行、テリトリーを広げると、、。

昨年のランガマテでの暴動、破壊行為、ラマ地区での6か所に及ぶ寺の破壊、放火も、政治的意図が強く関わっており、今回の訪問、当初の目的である緊急支援は、現時点では必要ないという。

 その意味は複雑で危険を伴う政治勢力などに巻き込まれることを懸念してのことであった。訪問することでそのリアリティーがいっそう増した。片方に関わると反対勢力から報復を受ける可能性が大きいからである。これは政治であり政府の仕事である。

 それとは別にバングラデシュ政府は、公式発表の3倍はいると言われる人口対策として、どしどし難民認定を行い難民キャンプに放り込み、あとはNGOなどの海外支援に任せる。また率先して国民にパスポートを支給し、海外に出ることを歓迎。

海外に流出したバングラデシュ人は、帰国する気はさらさらなく、それらの国でビルマのアラカンから来たロヒンギャを装い難民認定を受け居座る。

そして仕事を見つけ家族に送金するのだそうだ。バングラデシュ政府としては、あふれる国民が少しでも減り、責任も回避され、外貨が入るという一石三鳥ということだ。

 チッタゴン丘陵地帯では、1988年から4000人のアラカン人が難民となっているが、UNアジアからは400人しか難民認定されていない。その400人でさえ、全員がアラカン人と言うわけではなく、ソマリア、パキスタン、スリランカ難民もその数に含まれている。

 ロヒンギャ難民に関しては、MAN など9のNGOからサポートが行われている。それにくらべアラカン難民はUNアジアからのサポートがあるだけという。

 バボ村へ

NGOローカルユニティ・ピープル・インステチュウからモーターリキシャーで30分ほど、バボ村らに向かった。

以前井本さんが最初訪れた村で、昨年矢野さんによる調査を行いBOBをスタートした。

・矢野レポート参考  2011

=バボ村の位置=

バンダルバン州中央からやや南、アレカンダム(ALIKADAM)地区にある。地図上の目算では東に直線距離でおよそ20キロ、南も10キロほどでビルマと接する。東の国境沿いには南北に数ヶ所の難民集結地が点在し、そういう意味ではバングラ内陸部にかなり入り込んだアラカン人たちの住む村ということがいえそうだ。これらの国境を通じて商人たちは自由に行き来しているという。もちろん監視の眼を盗んでである。

 =村の生活=

アラカン人口はおよそ160人くらい。約50戸があちらこちらに数戸ずつ寄り合って集落を作っている。地主や長の理解が得られた場所に家屋を建てて住んでいる。電気はない。すぐ近くに川が流れており、水には困らない。

12、アラカイン族のバボ村

049アラカイン族のバボ村

13、アラカイン族のバボ村2

050アラカイン族のバボ村2

ここでの訪問でいちばん大きな収穫は、5人全ての受益者の家庭訪問ができたことだろう。仕事に出ていて会えなかった人も、BOBで購入した豚には会えた(笑)

ス・ラン自身が暮らしている土地だけに、容易だったのだろうが、従来のBOBサイトでは住人に集まってもらい報告が行われるケースが多く、実際に何に使ったかを確認するのは数例だけだからである。ちなみにバルワサイトではほとんどできていない。

 詳細は5人全員が同じ金額で1万タカを一年間6回にわけ返済。昨年の10月からスタートしたここのBOBは、現在までまだ一回の返済だけであるが、年1-2回の収穫の時期、または豚などの家畜を売りさばくまでは利益がない。本格的な返済はこれからである。

一回目の返済はみなポケットマネーから行われているらしい。

 5人中3人がバナナの栽培 、一人は半分をバナナ栽培、半分を豚の飼育(親子二匹)一匹は大きくして売り子豚はのち子を産ませる。

もう一人は豚三匹である。二匹は売り一匹は子を産ませるそうだ。

 バナナは需要が高く、そのため、町に売りに出なくてもバイヤーが購入にやってくるのでロスが少なく比較的短期間で収穫が可能で3年間は実をつけるそうだ。そして今が焼き畑と種植えの時期である。

さらにス・ランの奥さんも受益者の一人で、始めはカゴ作りの資金として借りたようだが、製作できる季節が限られるため、バナナ栽培に転向したらしい。ちなみにス・ランの奥さんは、めちゃくちゃカワイイ!

 14、ス・ランの奥さん

051ス・ランの奥さん

次6人目の受益者候補がまっていた。

その人は、昨年の矢野さんが訪問中、息子さんが倒壊した木で大怪我をし矢野さんから個人的に医療費5000タカを受けている。そのため、CSには非常に感謝してると語った。

ス・ランは返却された1万タカを次の人に貸し出していいか訪ねられ、どんどん次に回すようにと伝えた。

 この地域の僧侶は全く興味を示しておらず、それどころか入植したアラカン人に対し差別意識が強いため協力は期待できそうにないそうだ。

 15、BOBでバナナ栽培を始めた受益者

052BOBでバナナ栽培を始めた受益者

16、BOBでバナナ栽培を始めた受益者で村の衛生員(医療)

 053 BOBでバナナ栽培を始めた受益者で村の衛生員(医療)

17、受益者のブタ

054受益者のブタ

18、ス・ランの土地とバナナガーデン

055ス・ランの土地とバナナガーデン

19、矢野さんから個人的に医療費5000タカをうけ男性で、次の受益者候補

056矢野さんから個人的に医療費5000タカをうけ男性で、次の受益者候補

次にバボ村のとなりにあるソングチョン村と言う所に立ち寄った。この村に、5人中1人だけ受益者がいる。この村での今後のBOBを見据えてということらしい。

バボ村のBOB説明会にきていた受益者のウマラさんは、スランと信頼関係も深く60代、2匹(親子)の豚とバナナガーデンを始めた。ス・ランは大きな土地を持っていて全てのBOB利用者のバナナガーデンのために無料で土地を貸している。

 20、ソングチョン村

057ソングチョン村

21、受益者のウマラさんの妻と子

058受益者のウマラさんの妻と子

22、ウマラさんの豚

059ウマラさんの豚

23、ソングチョン村にて

060ソングチョン村にて

この日の夕方もう一度ズナマイズ孤児院を尋ねた。迎えに出てきた生徒たちはもう顔馴染みのように、明るく笑顔、やけにはしゃいでいる。あとからス・ランに聞くと、もうベットがくることが伝わっていたようだ。孤児院の外にでテーブルを囲み野外パーティーのような宴を設けてく記念撮影など、終始和やかな対談の時を過ごした。後日、孤児院の理事長であるバングシャ僧に木製2段ベット10セット分、5万タカ(役6万円)を手渡した。

  *後日談

この2段ベットの予算の中には、マットの分は入っておらず、実際はさらに2万5千タカ足りなかった。アウンが不足分を補充した。

 24、ナンダマラ孤児院再度訪問

061ナンダマラ孤児院再度訪問

25、院長のナンダマラ僧侶を囲んでささやかなパーティー

062院長のナンダマラ僧侶を囲んでささやかなパーティー

26、院長のナンダマラ僧侶を囲んでささやかなパーティー2

 063院長のナンダマラ僧侶を囲んでささやかなパーティー2

27、支給する予定のベッド(写真は他の孤児院の寝室とベッド)

064支給する予定のベッド(写真は他の孤児院の寝室とベッド)

孤児院をを出てバンダルボンに向かう、しかし国全体がストライキ中、夜遅くの運転を嫌がる運転手が多く何度も乗り換えを余儀なくされ、その度にス・ランによるドライバーとの交渉を必要とした。田舎では許可書を持たない運転手が多く、他所の土地に行くのを嫌う。なぜなら警察がそれら運転手を揺するからだそうだ。

さらに深夜になると軍が道を封鎖するので、戻れなくなることを恐れる。

自動車、オートリキシャ、オートバイなどを乗り継ぎ、ようやくバンダルボンついたのは12時近くで二人ともかなり疲れた。

 4/12

朝いつものロイヤルホテル、アウンが迎えにきてBOBサイト、キャン族の村ヘ向かう。

泊まっているホテルに見知らぬ中年男がレセプションにウロウロしており妙に愛想良く話しかけてくる。ホテルを出てから彼は秘密警察で、外国人の僕を見張っている事がアウンから聞かされた。

もう6回目になるバンダルボンだがそんなことは初めてだった。軍のチェックポインでも通過に以前に比べずいぶんと手間取った。国全体が反政府政党による混乱で不安定になっているからだろう。

 Khanキャン族の村で担当のハーレクイさんが待っていた。

ここのBOBは昨年と打って変わって彼女が頑張り、とても良い成果を上ているとアウンから聞いていた。一年ぶりにあった彼女の顔は自身に満ちていた。僕は昨年、BOBを始めたが、ほとんど関わっていなかった彼女に失望したと伝え、かなり強いことを言った。

それだけに、発奮し取り組んでくれたことが嬉しかった。何と言ってもアウンのバックアップと当人の頑張りがあったからのことだ。

 28、ハーレクイさんと2013年のCSチャリチーカレンダー

065ハーレクイさんと2013年のCSチャリチーカレンダー

*カレンダーの写真にはここキャン族の村の写真が沢山使用されていてみんな喜んでくれた

 キャン族のゴンクルモ村は、始め男性ばかり8人、4万タカで始まった。昨年の訪問で提案したように一度原資を回収し、新たに3人、そしてバイクで5分ほどのところにある隣の村、ドッキンドルボバラ村 で13人に貸し出されれていた。

計24人

ドッキンドルボバラ村は、以前一度だけ訪れた事があった小さな集落で貧しい印象だった。しかしこの村で女性の受益者が増えたことがいい結果につながったと感じる。

ここでは毎月20日に全員でミーティングを設け、返済、貸し出しが皆の前で行われる。金額は1500~5000タカ、11ヶ月返済10%の利息。毎月新たな受益者が生まれていて、今も5人の申し込みがある。壊れた屋根の修復に当てた受益者も何件かある。

 29、B0Bからの借り入れで修復した屋根

066B0Bからの借り入れで修復した屋根

昨年提案した寺と僧侶に関わてもらうことに関し、ハーレクイさんたちは寺に赴き提案するもの、僧侶曰「なぜそんな金があるんだ!そんな金があるんだったら俺が預かる」と言っているとかで、後日時間があれば一緒に寺に赴き説得を試みることにした。

 ある老女が貸し出しの行われる期日の20日以前に貸り入れをしたいと願い出た。

使用目的はキャン族の言わば成人式、耳に穴を開ける儀式、民族あげてのセレモニーである。そのための費用なので、日時が決まっており20日では間に合わないらしく、BOBから借りられなければ、他の高い利息の金貸しから借りなければならないと言う。

困ったメンバーは僕に聞いてきた。

こっちに聞かれても困る(笑)あなた達でで判断して欲しいと言ったものの、原資を減らすことになるので難しいようだ。例外は作りたくないが、見たところ村の重鎮のようだしケースバイケースと判断。いい成果が出てることだし、アウンのアドバイスで、プラスアルファで一万タカを追加する頃に決定した。そこから特例で貸し出す処置を行った。

さらにキャン族の初めにスタートした村ゴンクルモでも、この日1人女性に3000タカの貸し出しが行われた。

 30、ドッキンドルボバラ村

067ドッキンドルボバラ村
31、ドッキンドルボバラ村でのミーティング
068ドッキンドルボバラ村でのミーティング

32、受益者の申し込み書

069 受益者の申し込み書

33、ドッキンドルボバラ村でのミーティング2

070ドッキンドルボバラ村でのミーチング2

34、受益者の女性達

 071受益者の女性達

35、ゴンクルモ村

 072ゴンクルモ村

36、ゴンクルモ村での貸し出し

 073ゴンクルモ村での貸し出し

 この村は今、大きな問題に直面している。村のある丘の周りは広い農地になっているのだが、土地の持ち主は他にいて、キャン族の村人は、土地を切り借りし、農業を営んでいる。

 ところが土地の持ち主は、この土地で日干しレンガの製造するとこの村に一方的に通告してきた。そうなると、農地がなくなるだけじゃなく、数百人の労働者がやって来る。さらに環境も破壊され風紀も乱れると懸念している。

反対する村人に対し土地の持ち主は、高い利用料を払えば考えると言っているそうだ。

 その後、このことでアウンは何度もキャンの村人にどうにかしてくれと泣きつかれており、CSからの何らかサポートも期待されている。僕はCS事務局と相談してみる。とだけ答えている(汗)

 37、小さな丘の上に位置するドッキンドルボバラ村と日干しレンガ製造予定地の農地

074小さな丘の上に位置するドッキンドルボバラ村と日干しレンガ製造予定地の農地

38、キャン族の村への追加資金の手渡し

 075キャン族の村への追加資金の手渡し

 キャン族の村を訪問中、昨年新しくBOBを始めたバルワのウノポンよりアウンに電話が入った。

電話の内容は、「伊勢は今どこにいるか知らないか?」それに対しアウンは「知らない、たぶんラムの崩壊した寺を回っているのでは」と知らないふりをした。「誰がサポートしてるのか?」という問いに、「さ~多分アラカンのス・ランだろう」と返答。

ウノポンは、18日伊勢公認でバングラCSのミーティングをを開くことを決定したので参加するようにとアウンに要求した。アウンは前回ラムの緊急支援で呆れ果て、もう彼らとは関係を持たないと決めている。なので仕事が忙しいという理由をつけ出席を断った。

それに対しウノポン側は、出席できないのなら欠席証明書を提出するようにとの指示があったとか、、!

が、

そもそも伊勢公認など当人の僕は、何も知らされてない、、。

 同じ内容の電話が後日スニモジュテ僧侶とビブロップにもあった。18日はスノモジュテ僧の担当するラガマテ県のラジャストリ地区を訪問することになっていたのでウノポンから連絡を受けたスノモジュテ僧侶は混乱し、アウンに電話してきたのである。

同じくビブロップも18日伊勢は、ラガマテ県にいることになっている。で、おかしいと思い出欠の返答を濁らせた。

何故ならラガマテ県のパミッション(滞在許可書)を手配したのは彼だからである。

 そもそもなぜウノポンが電話がしてくるのか!?過去に彼が実際にBOBに関わったのはほんの十ヶ月前である。いつものように後ろで糸を引いてるのは間違いなくアシッシュであろう。

4/13

世界一住みたくない街ナンバーワン(埃と排気ガスがひどい)のチッタゴンまで両替に出た。片道2時間とアウンはいったが、実際は往復7時間かかり、ただただ疲れた。バンダルボンはもちろん、コックスバザールでも日本円は両替できず。

手持ち金も少なくなりプロジェクト資金の準備のためである。

アウンの指示で人に頼むこともできたが大金なので自分で行くことにした。レートは1㌦=80タカ、30万円は240000タカだった。空港のレートが1㌦=78タカだったので少しはよい。

 4/14

タイやビルマと同様に正月。会社や政府期間はお休み。その後2日間またホラダン(ストライキ)にはいる!

 39、正月恒例の水かけ祭り

076正月恒例の水かけ祭り

40、正月恒例の水かけ祭り2

077正月恒例の水かけ祭り2

41、正月恒例の水かけ祭り3

078正月恒例の水かけ祭り3

 夕方日本から帰ってきたばかりのビルマアラカン州のリーダーであり、UNHCR 及びナショナルユナイテッドパーティーのドクターケモンと面会した。スランのもと上司でもある

 42、UNHCR 及びナショナルユナイテッドパーティーのドクターケモン(右)


079UNHCR 及びナショナルユナイテッドパーティーのドクターケモン(右)

この記事をシェア
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次