『チャンドラバングシャ僧侶とアラカン族のスーラン』
翌日からふたりの仲間が視察に加わった。チャンドラバングシャ僧侶とアラカン族のスーランさんだ。僧侶は最近まで隣国タイで暮らし、長い間仏教大学で教壇を取っていた。そのためブッダバンク立ち上げには直接かかわっていないが、古くからのCSメンバーだ。アウンを紹介してくれたのが彼である。現在は母国バングラディシュに戻り有志と共に孤児院を設立し理事として運営にかかわっている。
もう一人のスーランさんは、隣国のビルマはアラカン州からバングラディシュに難民として移り住んだアラカン族で、バンダルバン州の南、アラカン難民の多く暮らすバボ村から来ている。
冒頭に話したが、スケジュールの関係で断念したが、このアラカンの村を今回視察し可能ならブッタバンクをスタートさせる予定でいたので、その村から関係者がきてくれ非常に助かった。
アウンの根回しで彼等を呼んでいたのである。
バボ村とチャンドラバングシャのジィナマイズ孤児院はわずか一時間の距離にあり重要な関係にあるといってもいい。
昨年の11月開所式が行われ僕も来賓として招待された。僕は参加出来ないため、タイに暮らす日本人CSメンバーでその道に長けている矢野さんと言う人物が、変わりに現地に飛んでくれた。
その時にブッダバンク候補地としてアラカンの村の視察、調査を行なった。スーランさんは現地英語通訳及びブッダバンクプロジェクトのキーマンとなるべく矢野さんのサポートをしている。
矢野さんからの話では「いつでも始める準備が出来てるから早く来てくれと再三催促がある」とこぼしていた。
報告によると苦しく厳しい状況を抜け出すためには、まず教育だと感じてるようで、子ども達に正しい教育を受けさせたいという切実な思いがあるようだ。
(45)アラカン族のスーランさん
ここに参考まで矢野氏のレポートの一部をかいつまんで掲載させてもらう
バングラデシュ リサーチ報告 文責: CS Art Sec. 矢野かずき
バボ村(BABUPARA PARAは村の意) レポート
訪問日 2011年12月12日
=新設ズィナマイズ(ZINAMAYZU)孤児院=
このレポートを始める前に、ズィナマイズ孤児院についてひとこと言っておかなくてはならない。この孤児院の位置づけはこの地方の将来に対して、またこのバボ村に対しても重要なものとなりそうだからである。
ここからバボ村までは車で1時間とかからない。90年代につくられた最初の孤児院はもっと山奥にあるのだが、メインロードのすぐそばにあり、近くには小学校や高校もあるという場所に開かれた。ナンダマラ僧が理事長、CSバングラの要バングシャ僧も理事の一人である。
受け入れるのは孤児と教育を受けられない家庭の女子。女性だけの孤児院である。とはいえ、仏教教育を根底に置き、青少年への服仕立て技術、英語教育、コンピューター教室などの職能訓練センターとしても機能する予定だ。
=バボ村の位置=
バンダルバン州中央から東に直線距離でおよそ20キロ、南に10キロほどでビルマと接する。東の国境沿いには南北に数ヶ所の難民集結地が点在し、そういう意味ではバングラ内陸部にかなり入り込んだアラカン人たちの住む村ということがいえそうだ。これらの国境を通じて商人たちは自由に行き来しているという。もちろん監視の眼を盗んでである。
=村の生活=
アラカン人口はおよそ160人くらい。約50戸があちらこちらに数戸ずつ寄り合って集落を作っている。地主や長の理解が得られた場所に家屋を建てて住んでいる。電気はない。すぐ近くに川が流れており、水には困らない。
9割以上の住民がアラカン族で、他にムロ族(アラカンの一部とされる)などが混じる。ほとんど全員が仏教徒。これらの人々は実質上「難民」である。しかし難民としての保護措置などは何も受けていない。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が首都ダッカにあるが、村人のうち難民認定を受けているのはほんの数人だけだ。鉄条網に囲まれていない難民たちなのである。鉄条網がないということは逆に外からの脅威を受けやすいということでもある。
アラカン族の要人は国連に期待は出来ないと述べた。なぜなら、ダッカの国連スタッフのほとんどはベンガル人イスラム教徒だからだ、と。仏教徒のために動くはずはないというのである。難民に認定されたからといって、補助金やその他のサポートがあるわけではないという。単に身分を証明するカードを与えられるだけらしい。
人々がビルマから流入してきた歴史は古く一説によればバンダルバン州全体でビルマから流入したアラカン人はおよそ4000人
バングラデシュ軍とベンガル人住民から焼き討ちにあった北隣のバガイチャリからもかなりの数が逃げてきているが、政府の圧力で資料は皆無だ。はっきりした数が出ることはないだろう。
今回リサーチを手伝ってくれたアラカンの男性スーリン氏は37歳だが、ビルマから出てきたのは2歳のときだという。妻とふたりの子供がいる。
ビルマからバングラデシュへ入った難民たちは長い時間をかけて少しずつバングラデシュ内陸部へと移動を繰り返してきた。
そのようにしていつかこの村にもアラカン人が入って来始め、仏教徒同士ということでさしたる摩擦もなく、地域の長の理解もあってうまくいっているというケースである。
生活の糧を彼らの多くは日雇い労働で得ている。アジア開発銀行が入ってプランテーションが各所にあり、樹木の伐採などの仕事もある。が、低賃金のその日暮らしだ。土地自体は森林局の管轄。しかし地域の長たちが前面に立ってうまくやってくれているため、問題が起こらない限り役所もアラカン人たちの移住については目をつぶっている。といっても彼らは村を離れてダッカに出て国連に難民登録を願うなどという行動はとれない。外へ出る金がなく、たとえあっても外部とコミュニケーションをとるノウハウを知らない人々だ。いったんバングラデシュの官憲に捕まると投獄は免れない。
アラカン人たちが住む村の高台にあるバボ仏教寺でミーティングをもった。特徴的なのではなかろうかと思った点がひとつある。
村人たちの最終的な望みは「教育の機会がない子供たちに教育を」
という一点に尽きるということだ。他には何もない。ただこの一点である。
たとえどんなプロジェクトがこの村に入ってきたとしても、村人たちはそのプロジェクトの最終目標を子供への教育機会の増大に結び付けようとする。それが村人たちの最大のモチベーションだ。
自分たちの生活がいつまでも変わらないのは、外部とのコミュニケーションをとる能力がないことが原因だと彼らは考えている。ベンガル人が経済市場を占めるのも、彼らには教育の機会が与えられているからであり、その差を少しでも縮めることが彼らの未来を拓くことだと信じている。
彼らが最初に出してきた要望は以下のものだった。
もしBOBが開設されるなら自分たちで実行委員会を作らせてくれ。その委員会に運営を任せてほしい。
当たり前です、どこでもそうやっています、と応じた。
どうやら、外部から来た誰かがここに駐在して事務所を開き運営するものと思ったらしい。
次に出された要望は子供たちに教育機会を与えるため、その委員会からお金を出すことを認めてくれ、というものだった。私は単純に「面白い」と思った。少なくともこれまで我々のバングラデシュのプロジェクトにはなかった。
私が答えたのは、BOBを利用した各家庭がその利益をどのように利用しようがそれは自由である。けれど、委員会がある程度の余剰金を持った場合、それを次のBOB利用者のためにのみ使うべきだという縛りを解くか否かはこの場では答えようがない。皆さんからそういう要望があったことはCSに伝えておくと応じた。
以下省略
そんなわけでスーランさんには今回は訪問できないが、近いうち矢野さんを必ず送り込みブッダバンクが実現できるようにすると約束した。
彼等はこのあと他に予定があるらしく別れなければならないと言う。僕達は「それは残念っです、これから向かうラズビラ村でどうやってブッダバンクが運営されてるか見てほしかった。出来れば明日行なわれる全体ミーティングにもCSメンバーとして是非参加してほしかった。」と2人に伝えた。思いが伝わったのか感じる物があったのだろう、予定を変更してこの時から最終日まで一緒に同行してくれたのである。
真剣なまなざしで一部始終をみてくれた。とにかくその事がうれしかった。BOBの行なわれている現場に触れる事で、生の声を聞く。受益者から感謝の言葉が発せられる。村人の生活が潤った喜びや笑顔が、彼等のモチベーションに火をつけた事は確かだ。
更に起こりうるであろう難題や問題点も見えただろう。
この2人はBOBの新天地の要として多いに期待できる人材である。チャンドラバングシャ僧侶も心は常にCSと共にあると言ってくれた。
余談だが、僧侶のチャンドラバングシャはマルマの人間としては珍しく体格がいい。180センチ以上の身長に骨太のがっちりした体型、100キロぐらいあるだろうか。さらに睨むと凄みのあるいかつい顔。
アウンやスーランさんが彼のことを冗談でモンキー、モンキーと呼んでいた。
俺は、「ちがうだろ!ゴリラだろ」と思いながら聞いていたのだが、実際はモンキーじゃなくモンクキング(僧侶の王様)の聞き間違い、、!
そう彼は僧侶界の王だったのだ。
期待してるぞモンキー、じゃなくてモンクキング。
Vol.7『バンダルバン州マルマ族のラズビラ村』『バンダルバン県キャン族の村』
(49)モンクキング