『商店の組合員とBOBショップ談議』
キャン族の村を早々に切り上げてアウンの運営するNGOエコプロジェクトのオフィスに向かった。
バンダルボンで暮らすマルマ族で、商売を営む組合の人たちに集ってもらっている。そう、あのBOBショップ構想を具体的に進める準備が始まったのである。
アウンのオフィスは、昨年来た時には引っ越ししていて、この土地には似つかわしくない7階立のコンドミニアムの3階をワンフロアーごと貸し切っていた。驚いたことに今年になってさらに一階もフロアーごと貸し切り2倍の規模に拡張していた。中は幾つかの部署に別れており、たくさんのスタッフが仕事をしていた。アウンの部屋はちょっとした社長室という感じだ。
仕事の順調具合が伺われる。建物は新しく、清潔でひととおり近代的な設備がそろっているようだ。
なぜならバンダルバンは州都といえどもバングラデシュの僻地だ。9割の家庭では水道が来ていない。
住人は井戸のような水汲み場に大きな水釜を持って並び給水する。洗濯や沐浴は沼や川で行なう。
そういえば昨年アウンは言っていた「イセ、安心しろ今俺たちは海外の大きなプロジェクトを受注していて先は安泰だ!いくつかの大口のドナーを持っている」と…。
アウン42歳、男として最も脂がの乗っていてイケイケだ。俺にもあったそんなときが。調子に乗って倒産したけど、、。
まぁ順調ということは良いことだ。しかし後日気になったのでこう言った「今はいいかもしれないけど、特にこの国は先がどうなるかわからない、慎重に、、。」
「分かってる」とアウン
俺が言わなくても彼はいちばん分かっているだろう。
余談だが彼はエコプロジェクトのNGO登録に4年間政府の機関にに通いつめた。先住民という事であしらわれ、ずいぶん屈辱を味わっている。それだけに家庭や組織を守るため政治的な動きには特に慎重に行動してると言う。
CSバングラの要アウン
オフィスには組合員、合計13人の商人が集まっていた。
BOBショップを実現するためには、その道のスペシャリストが必要だからである。
目利きができ経験が豊かで、信頼できる人材でなければならない。それでいてBOBの趣旨を理解してもらう必要がある。なぜならジュマの人たちが丹精込めて作った収穫物を預かり公平に消費者と生産者の間に入り取引を行なわなければならないからである。当人たちの利益もそこから発生するだけに、信用が肝心だ。
商人といってもお店を持ってるのほとんどベンガル人であるため、彼らは通りの地面に品物を並べて売っており所場代を払っている。
とはいえ長い間商売で生き残ってきただけありみんなたくましい顔している。
おそらく屋根の着いた固定の売り場は、喉から手が出るほど欲しいはずである。
質問が飛び交う、さらに同じ商人同士での活発な意見交換が行なわれている。
BOBショップ会議
アウンがBOB構想に関して熱心に説明する。始めはよくかわからなかった彼らも次第に共感を持ち始めた。
長い間ベンガル人の入植者に商売のテリトリーを奪われ、 その理不尽さと悔しさをいいだけ味わってきた人たちである。そんな中をたくましく生き残ってきた底力、そして結束力というものを感じる。
アウンが彼等に向かって言う。「こうして日本から我々ジュマ民族のために手を差し伸べてくれる人たちがいる。利益にとらわれず協力して自分たちが長い間置かれてきた広陵地帯での状況を変えていこうじゃないか。それがBOBショップなんだ。」
俺も黙ってられなくなって発言。
「僕はこの数年間ここ広陵地帯にかかわることで、過去に何が起き、そして現在どういう状況にあるのか、自分なりに理解しているつもりでいます。その上であえて言います。セトラー(ベンガル人入植者)の人たちにへりくだる必要はない。もう受け身でいてはだめです。我々で力を結束し、マルマの人たちを守っていこうありませんか。そのためのにブッダバンクがあり、そのためのBOBショップなんです。」
そして商人同士の活発な意見交換が始まった。
組合委員による意見交換
アウンが言う「大丈夫だ、後は奴らに任せとけばいい」
その後彼等の中で評議を重ね数日後の6月7日には4箇所でのBOBショップがスタートすることが決まったのである。
詳細は、問屋、お茶軽食店に野菜屋が2軒の計4箇所である。総経費約18万円。期限を2年に決め月々の返済のほか月々50タカのプール金で原資を増やして行くという方法をとるようだ。
この日の朝方、約束の時間にすっぽかしを食らったキャン族の村のBOB責任者、ハーレクイさんと旦那さんが2人でエコデベロップメントのオフィスにやってきた。
来れなかった理由などを罰わるそうに言い訳する彼女に「銀行業務は忙しいし街から来るのも大変ですから、、。と、とりあえず社交辞令で対応。「役員として明日のCS総合ミーティングには参加していただけますよね?」と訊ねると彼女は答えた。「明日は仕事が忙しく参加できません。」
僕はその無責任な対応に少し強い口調で彼女に言った。忙しいのはわかります。しかし我々だって暇じゃない。自分の時間とお金を使い遥か彼方からここまで来てるわけです。
そもそもキャン族のあなたから、「存続の危機にある村を助けたい」とその切実な願いと熱意に応えて僕達は幾度も村を訪問し、条件的に厳しい中でもBOBをスタートしました。
それなのに約束の時間をすっぽかし、大切な年に一度のミーティングにも参加できない。キャンの村もその後はほったらかしでブッダバンクに関して何の報告もされていなければ貴方自身オブザーブしてる様子もない。
法登録のメンバーであるあなたが参加できないことはとても残念です。がっかりしました。と…
旦那と2人で黙って聞いていたハーレクイさん、僕に言われたことがよっぽど悔しかったのか顔面蒼白で目に涙を浮かべていた。
キャン族のハーレクイさん
この日は広陵地帯最後の夜である。アウンが「さあ出かけるぞー」となぜかウキウキした顔をして言う。とっておきの場所に連れて行くという言うのだ。俺その時あ!ニリギリだとすぐ気づいた。以前連れてってもらったことがある。前回は昼間だった。夜に行くのは初めてである。ニリギリはCHT(広陵地帯)最高峰、海抜1000メートルに位地する避暑地である。
そこは24時間同じ方向に心地良い風が吹き、この灼熱の地バングラデシュで最も快適な場所として有名である。そのため金持ちのベンガル人が大勢高級車に乗ってやってくる。
ニルギリはバングラデシュのダージリンと呼ばれてそうだ。
俺たちは広陵地帯最後の夜をニルギリで過ごすため、貸し切っていた4WDで一気に山の頂上まで登った。車を降りて展望台を上りさらに一番いい風が吹くとっておきのポイントを確保した。風上を背に座りこっそり持ってきたビールをおもむろに出しに三人で乾杯。
ん~ううまい…!
この時アウンから非常に興味深い話が出た…。インドにもジュマの人たちが少なからず暮らしているという。仏教発祥の地にブッダガヤにはマルマ(ジュマ族の一つ)の僧侶がいて、お寺もあるそうだ。アウンは若い時その僧侶に非常にお世話になり恩返として今も支援をしているという。一緒にいた僧侶の上川氏は食らいつくようにアウンに訊ねる。「ならばインドでもBOBを広げることができるじゃないのか?」
アウンは疑う余地無くできると言いきる。
上川氏は相当感じるものがあったのだろう感動のあまり鳥肌が立ったと唸るように何度もつぶやく!
なぜならインドで生まれた仏教が日本にわたり、日本からBOBという形を通してビルマやバングラデシュそして最後インドに帰っていくとしたら、それは仏の重要な教えの一説が具現化したことになるからだと言う。
日蓮聖人の御遺文に
「月は西より東に向へり、月氏(インド)の仏法の東へ流るべき相也、日は東より出づ、日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相也」
西方から伝来した仏法は、法華経の教えで末法の闇を照らし、再びお釈迦様が教えを説かれたインドの国へ還るという、独自の宗教観を「日月」に喩えて述べられています。
諫暁八幡抄より
凄いな~なんと壮大なことか…そんな深淵な物語の中に自分が関わっているのかと思うと俺まで鳥肌が立って来た…。
そう!話がでかいとかなんと言われようが、俺たちの夢は果てしなく壮大なのだ。この感動が伝わるだろうか…何とも言えない充実感が俺たちを包み込む。
気温25度、深夜山の頂上、強すぎず弱すぎづ背中をさするように吹く心地よい風。同じ方向に同じ速度で止むこと無くに吹き続けている。
酒を酌み交わす俺たち3人は、きっと過去生でまた巡り会う約束をしてきたのだろう、、。
かるい酔いがそんな思いを巡らせる…
風のふき続けるニリギリの丘より
と、その時水を差すようにアウンの携帯のベルが鳴った。あ!あのアシシュからだった。あいかわらず間の悪い奴だ、、。「バンコクから帰ってきたそうで明日のミーティングは参加できるそうだよ」とアウン
…今ごろ来てもねえ~